「開かれた皇室」は間違いだったのか “私”重視を生んだ自由教育と失われた神秘性を検証

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 令和の皇室に襲い掛かった「小室問題」。その“起源”ともいうべき「開かれた皇室」の広がりを体現するかのような家風で知られた秋篠宮家は、戦後最大ともいえる皇室危機の“当事者”となってしまわれた。背景には何があったのか。

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 昨秋の渡米から間もなく2カ月。小室夫妻はニューヨークの地に根を下ろし、新生活を満喫している様子である。小室さんは来月に「正念場の再受験」を控えるものの、報じられる現地での表情には悲壮感など皆無。眞子さんともども、見て取れるのはもっぱら解放感といった趣である。

 渡米の前、10月下旬の入籍日に行われた結婚会見では、眞子さんの体調を考慮して質疑応答は急遽中止、夫婦が一方的に思いの丈を述べる場と化してしまった。特筆すべきは、その数時間前まで皇族のお立場にあった眞子さんが、あたかも国民を敵と味方とに分断するかのような物言いを繰り返していた点である。

 皇室制度史に詳しい所功・京都産業大学名誉教授は、

「一般の人々は、ふだん自分や身近なことにしか思いが至りません。しかし、天皇の視線の先には、つねに国民全員、国家全体があります。それを知る多くの国民が、皇室を敬愛しているのだと思われます」

 そう前置きしながら、

「昭和天皇の侍従が、東京を襲った台風について“台風は過ぎ去ったようでご安心ください”と申し上げたところ、天皇は“その台風はどこへ行ったのか”と問い返されたそうです。たとえ東京から去っても、国内の別の場所にある限り安心できないと仰ったわけです。長年お仕えしてきたこの侍従も、陛下はいつも国民すべてに心を寄せておられることを、あらためて思い知らされたと語っています」

 一方の国民もまた、

「多くの人々には“陛下や皇族方は国民全員、国家全体を気にかけて下さっている”という信頼感があるのだと思います。ところが眞子さんは、会見などで一部の人々から『誹謗中傷』を受けたと、これまでにない強い言葉を使いました。世の中にはいろいろな意見を持った人がおり、皇室はそうした国民全体をご覧になり包み込んでこられたのです。しかし眞子さんは“結婚を支持してくれる人はよいが、非難する人は困る”というメッセージとも受け止められかねない発言をしてしまった。それが国民の分断に繋がりはしないかと心配しています」(同)

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