大谷翔平の二刀流を開花させたエンゼルス監督 かつて二刀流起用を実現できなかった苦い過去が

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完全フル出場

 せっかくの才能を指導者によって潰される例は少なくないが、大谷の場合、その心配は不要だったということか。そうした幸運は渡米後も続いたようで、

「二刀流の開花には、エンゼルスのマドン監督が果たした役割も大きかったと思います」

 と述べるのは、スポーツジャーナリストの斎藤庸裕氏だ。

「入団1年目のソーシア監督は、日ハム時代同様、大谷選手を登板日はピッチャーに専念させ、その前後1日も休養させていました。しかし、マドン監督は休養をやめ、登板日も打席に立たせるなど、完全フル出場にした。“スター選手はチーム側から制限をかけない方がいいんだ”と述べたように、選手に自由に選択させるスタンス。それが、“投げたい、打ちたい、走りたい”という大谷選手にはプラスに働いたと思います」

 選手とのコミュニケーションも密で、監督室のドアも開いていることが常だったとか。大谷に対しても、日々のコンディション確認を怠らなかったという。

 加えて、

「監督はプラス思考でもあり、オールスター戦以降、敬遠が増え、ストレスが溜まることもあった大谷選手に対しても、“四球を選べたのは良いことだ”と評価した。それも活躍の一助になっているのでは」

 こうした操縦法には、監督自身の過去も影響しているのかもしれない。斎藤氏が続けるには、

「30年程前、マイナーリーグで指導していた時代に、身体能力の極めて高い選手がいた。彼にほれ込んだ監督は二刀流として使いたかったそうですが、当時のGMから反対に遭い、結局実現できなかったとか。そんな過去もあり、二刀流挑戦に胸が騒いでいるのでしょう。また、大洋監督などを務めた須藤豊氏と日米のファーム交流を通じて親交があることから、日本の野球にも理解が深い」

「開眼」は決して偶然ではなかったようである。

 22年シーズン後、エンゼルスとの契約は満了。今後はFA移籍も取り沙汰される大谷だが、指導者との“縁”も活躍のひとつのポイントとなるはずだ。

週刊新潮 2021年12月30日・2022年1月6日号掲載

ワイド特集「『人間研究』寅の巻」より

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