中国の人気俳優、“靖国神社で写真撮影”だけで大炎上 安易なキャンセルカルチャーへの違和感(古市憲寿)

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 この夏、中国ドラマファンに激震が走った。「山河令」で人気を博した俳優の張哲瀚さんが大炎上、活動休止に追い込まれたのだ。

 発端は2019年の写真。彼が日本の乃木神社で行われた結婚式に出席していたことが、ネットユーザーによって発掘された。立て続けに、2018年の桜を背景にしたピース写真が、靖国神社で撮影されたものだと特定された。

 直ちに謝罪文を発表したものの人民日報や新華通訊社が批判、コカ・コーラなど外資を含む27社ものスポンサー企業との契約も打ち切られた。中国公演業協会も張さんに対するボイコットを要求、所属事務所の営業免許も剥奪されたという。

 乃木神社や靖国神社で写真を撮っただけで芸能界追放だ。中国は恐ろしい国だと思いたくなってしまう。しかし似た現象は世界中で起こっている。

 それがキャンセルカルチャーだ。著名人の言動を告発し、社会の表舞台から消し去ろうとする社会運動のことである。

 日本では東京オリンピックにまつわる一連の騒動が記憶に新しい。過去の差別発言や、いじめ騒動が発端となり、クリエーターが辞任に追い込まれたのだ。

 このように欧米圏や日本では、「人種差別」や「セクハラ」が理由で糾弾されることが多いが、中国では「親日」がその理由になり得るようだ。

 キャンセルカルチャーは、気に食わない人を排除したり、ライバルを蹴落とす格好の手段となる。過去の言動を掘り返し、それを大げさに問題だと騒ぎ立てればいいのだ。

 もちろん「人種差別」や「セクハラ」はよくない。だが時代や状況で差別やハラスメントの基準は変わる。法律の場合、遡及効を認めないのが大原則だ。新しい法律が成立前に遡って適用されることはない。しかしキャンセルカルチャーの下では、新しい「正義」で過去の行いが裁かれてしまう。

 キャンセルカルチャーの怖さは、張哲瀚さんの一件に集約されている。どう考えても本人に悪意がなく、その時点では誰も問題と思わなかった行為までもが、事後的に糾弾されたのだ。

 日本の感覚からすれば「靖国神社で写真を撮ったくらいでそこまでするのか」と思ってしまう。だが日本で起こっているキャンセルカルチャーも、少し前の基準からすれば「やりすぎだ」と思われることも多い。

 時代と共に価値観が変わるのは当然だ。過去に対し正義を掲げる人の横顔に、気に入らない他者を排除したいという醜い欲望が覗いていることはないだろうか。誰かを消し去るための手段として、都合よくポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)が持ち出されてはいないだろうか。

 だからどうしても、安易に誰かの「キャンセル」を求める人のことを信じられない。そして、嬉々として「人種差別」や「セクハラ」を理由に他者を追い落とそうとしている人が、そのうち「非国民」や「愛国無罪」という言葉で誰かを詰(なじ)っていても特段、驚かない。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2021年12月16日号掲載

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