菅原文太はヤクザの人生相談にどう答えたか 「人生は、いってみれば紙一重だよ」

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「赤い人たち」への慰問

 受刑者たちから送られてくる手紙には桜印の検閲マークがある。文太はこのマークを見ると、いつも「ご苦労様」と呟いた。また、昔の囚人服は赤い着物だったため、囚人を「赤い人」と呼んでいる。

 40代半ばの頃、文太はなんども刑務所の慰問団に加わった。網走はロケだけだが、札幌、横浜、府中、諫早など各刑務所を訪ねている。

《あんまり芸のないオレなんかが顔を出しても大歓迎だよ(中略)オレたち芸能人にとって受刑者の皆さんっていうのは、最上級のお客だろうな。何をやっても喜んでくれるし、感動してくれる》(91年7月25日号)

 慰問にギャラはなく、すべてボランティアで、せいぜい受刑者が作った弁当をご馳走になる程度だった。あとは所長室で感謝状を受け取り、小型バスで最寄り駅まで送ってもらう。文太は慰問に行くたび、一歩間違えれば自分も塀の中の人間になっていたかもしれない、と思ったという。

《人生は、いってみれば紙一重だよ》(同)

 あるとき、文太は大先輩の鶴田浩二からこう言われた。

《「菅原君、キミは女子刑務所には行ったことがないらしいが、たまには行ってやれ。思わずもらい泣きをしてしまうぞ》(同)

 文太は女子刑務所を訪ねることはなかったものの、《男も女も、たかだかオレたち芸能人を見て喜んでくれる。うれしいことこのうえない》(同)と、慰問の思い出を語った。

旅をしている身(服役中)からのファンレター

 もう一人、無職で独身の46歳の男性からの相談に、文太は《おんどりゃあ!》と声をあげて笑い飛ばした。文太にとってはバカバカしい罪で逮捕されていたからである。この相談者は喧嘩の過剰防衛や立ちションの軽犯罪法違反などで半年に一度は警察のお世話になるため、知人から「おまえは、そのうち刑務所行きだ!」と言われていた。

《問題を起こすたびに反省するものの、何かと人生に波風多し。この人生、どうにかならないものかと菅原先生にご相談》(同)

 文太は《アナタのような人間は、刑務所に入っても問題ばかし起こすだろうな》と予想し、慰問団を迎える受刑者の心構えを語った。受刑者にとって芸能人の慰問は大きな楽しみだが、なにか問題を起こすと、罰として演芸会には参加できなくなる。

《だから、オレたち慰問団が行くとなると、受刑者の皆さんは騒ぎを起こさんようになると刑務所の役人はいっとった。まあ、もめごとは好んで起こすものではない。人生うまくやってつかわさいや》(同)

 刑務所からは相談ではなく、単純なファンレターも届く。旅をしている身(服役中)と名乗るヤクザは、映画の中の文太に憧れていたが、実生活でボランティア活動をしていることを知り、筆をとった。

《なかば驚きましたが、よくよく考えてみると実に格好がいいと。わたしも旅を終えたら社会のために働きたいと思っています》(同)

 文太は《たまたま縁あってチャリティをやっているにすぎんよ》と返し、《名の知れたオレがやっているためにマスコミが書くだけ(中略)オレが動けば少しは寄付金が集まるんじゃないか》(同)と謙遜する。

 この謙虚さもまた文太の魅力だろう。「たかだか人間!」は、「アサヒ芸能」の人気記事になり、文太が終了を決めるまで続いた。

松田美智子
山口県生まれ。金子信雄主宰の劇団で松田優作と出会い結婚。一子をもうけて離婚。その後、シナリオライター、ノンフィクション作家、小説家として活躍。『天国のスープ』(文藝春秋)『女子高校生誘拐飼育事件』(幻冬舎)等の小説を執筆するとともに、『福田和子はなぜ男を魅了するのか』(幻冬舎)、『越境者松田優作』(新潮社)、『サムライ 評伝三船敏郎』(文藝春秋)等のノンフィクション作品を多数発表。

デイリー新潮編集部

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