【カムカム】「安子」を次々不幸が襲っても…カギを握る度々流れる稔との思い出の歌

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戦争と「カムカム」

 戦時中を生きたヒロインが登場する朝ドラはこれで31作目。朝ドラ自体は1961年に始まり、現在は105作目だから、約3分の1が当てはまる。

 朝ドラは明治期、大正期、昭和期が舞台となることが多いので、どうしても戦争は避けて通れない。また、「エール」(2020年度前期)のように戦場の惨状を描く一方で、「カムカムエヴリバディ」のように市井の人たちの被害を中心にするものもある。

 戦争を知らないのにもかかわらず、戦争を描かれると、居住まいを正さなくてはならない思いになる。そんな人は少なくないのではないか。

 途方もない数の方(約310万人)が亡くなり、その犠牲の上にこの国が成立したことを誰もが知るからだろう。もはや遺伝子にその事実が組み込まれているようなものだ。

「カムカムエヴリバディ」の話に戻りたい。稔の戦死が分かった直後から、安子に対する義母・美都里の理不尽な仕打ちが始まった。このため、安子は勇の勧めで雉真家を出た。

 勇は自分が安子に恋い焦がれながら、好き合っていた稔と安子の結婚を許すよう父・千吉に懇願した過去がある。その後も安子を支え続ける。勇の無償の愛も観る側の胸を揺さぶる。人物像のつくり方も巧みだ。

 第22話、勇が安子を見送った場面では藤本さんのセリフが繊細であることがあらためて浮き彫りになった。

 稔との結婚後、勇は安子を「義姉さん」と呼んでいたが、この別れ際だけ、昔の呼び方に戻った。

「アンコ、どねえしても困ったら帰ってきたらええ」(勇、第22話)

 この時の勇は、義弟という立場を忘れ、片思いの人・安子の幸せを一心に願っていたのだろう。

 岡山の雉真家を出た安子が住んだのは稔が大学生活を送っていた大阪。もちろん娘のるいも一緒だ。

 当初は苦労続きだったが、芋飴売り、おはぎ売りが徐々に軌道に乗る。欲しかったラジオも買えた。安子はささやかな幸せを手にした。

 ところが、働き過ぎがたたり、るいが乗ったリアカーを牽引した自転車を運転中、事故を起こしてしまう。

 るいは顔に傷を負った。自分も左腕が折れた。これを機に母娘は雉真家に戻る(第26話)

 この選択の向こうに待ち構えているのは幸せか、それとも不幸なのか――。

 藤本作品にはまだ特徴がある。その1つは見る側に先を読ませないのだ。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

デイリー新潮編集部

2021年12月6日掲載

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