好調「日本沈没」 SNSで上がる“原作無視”の指摘を考える 映画版の影響か?

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「迫力不足」との声もあるが…

 原作は大ベストセラーだが発行部数は上下巻で400万部以下だから、読者数は限られている。一方、映画版は公開当時だけで880万人も動員した。このため、「日本沈没」の原点を原作ではなく、映画版と考える人が多いようだ。これがドラマ版批判の背景にある気がする。

 映画版は関東を襲った大地震の場面を生々しく描いた。人間が生きたまま火だるまになり、洪水に飲み込まれた。

 映画版と比べると、ドラマ版はインパクトに欠ける。ネット上にも「迫力不足」との不満の声が目立つ。

 ただし、家族で観る人が多い日曜劇場の放送枠で痛ましい映像を流すのは不可能。また映画版公開の後、阪神・淡路大震災(1995年)と東日本大震災(2011年)が起きた。その被災者の方々の心情を考えても生々しい場面を流すのはムリだ。

 テレビ業界、芸能プロダクション関係者からは「日本沈没」の原作とドラマ版の違いを批判する声は全く聞こえてこない。違いを話題にする人すらいない。原作とドラマは別物という考えが浸透しているからだ。

「小松さんの遺族が抗議」はありえない

 あろうことか、ネットには「原作を無視しているから小松さんの遺族が抗議する可能性がある」との指摘まであるようだが、現実離れしている。著作権を誤解している。

 小説は著作権を持つ原作者が利用許諾を与えないとドラマ化できないのは知られている通り。その上、著作権所有者には著作人格権(同一性保持権)もある。原作が脚本化される際、納得のいかない形で改変させない権利だ。

 だから著作権所有者は事前に行われる脚本チェックで、許せない改変が行われていたら、直すよう指示できる。利用許諾契約を解除し、ドラマ化を中止させることも可能だ。

 著作権所有者に抗議されてしまうような脚本では最初から撮影に入れないのだ。実際にそれでドラマ化が流れた例もある。

 ドラマが放送されて、「原作」とクレジットされていたら、著作権所有者は脚本に納得しているということになるのである。

 そもそも、原作どおりに映像化されるケースのほうが少数派だ。もしも原作の改変が許されなくなったら、ドラマ文化、映画文化が、大きく後退するのは間違いない。

 原作者の故・松本清張さんをして「原作を超えた」と言わしめた映画「砂の器」(1974年)の脚本は故・橋本忍さんと日本を代表する映画監督・山田洋次さん(90)が書いた。

 読売新聞夕刊に連載された原作は本格的な推理小説。終盤まで犯人が分からない筋書きになっていた。

 一方、映画版は推理を捨てた。犯人の和賀英良こと本浦秀夫(故・加藤剛さん)が、なぜ恩人を殺してまで過去を隠さなければならなかったのかという動機に焦点を絞り、社会にある不条理な差別構造を激烈に批判した。

 日曜劇場の「テセウスの船」(2020年1月期)も原作漫画とはかなり違ったのはご記憶の通り。ドラマ版の最終回で真犯人・加藤みきお(安藤政信、46)の共犯が、田中正志(霜降り明星・せいや、29)だと分かるが、この設定はドラマのオリジナルだった。

 犯人まで変えてしまおうが、著作権を持つ原作者が許せばOKなのである。物語のポイントとテーマが同じだったら、多くが映像化を許可される。

 最後にドラマ版「日本沈没」の中身についても触れさせていただきたい。よく出来ていると思う。多くの視聴者が観ているのは納得だ。毎回、ヤマ場がある上、次も観たいと思わせる。構成がうまい。

 役者陣もいい。特に東山首相と副首相兼財務相の里城弦(石橋蓮司、80)のやり取りはスピンオフ作品がつくれるほどの面白さだと思う。

 この2人は故・松田優作さんでつながっている。仲村は誰もが認める弟分、石橋は盟友だった。

 2人の付き合いも長く、実際には対立するどころか、仲が良い。だから息が合っている。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

デイリー新潮編集部

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