好調「日本沈没」 SNSで上がる“原作無視”の指摘を考える 映画版の影響か?

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「日曜劇場 日本沈没ー希望のひとー」(TBS)の視聴率がいい。10月期ドラマの中で断トツだ。第7話までの世帯視聴率の平均値は15.7%で、個人全体の平均値は同9.6%に達している。ところが「原作無視」と猛批判する向きがある。本当に無視しているのか。そもそもドラマは原作通りにつくらなくてはならないのか(視聴率はビデオリサーチ調べ)。

 作家の故・小松左京さんが1973年に発表した小説『日本沈没』の物語のポイントは次の通り。

「田所雄介博士が日本沈没に気付き、それを唱える」「誰も信じない」「第2次関東大震災来る」「その後は地震が頻発」「やっと沈没を確信した政府が日本人の移住先探しに奔走する」

 ドラマ版の第7話までのポイントと合致している。「ドラマが原作を無視している」というのはオーバーではないか。

 またテーマも「正常性バイアスへの警鐘」「日本国と日本人とは何か」「政治家と官僚の役割とは何か」という点で原作とドラマ版は重なる。やはり原作無視とは言えないはずだ。

 原作は群像劇であり、ハッキリとした主人公がいない。物語の中心人物は何人かいて、その1人が小野寺俊夫。この小野寺が原作発表と同じ1973年に公開された映画版では主人公に据えられ、藤岡弘(75)が演じた。

 この小野寺という人物についてはやや誤解がある。単なる深海潜水艇の操縦者との認識が目立つが、それは物語の前半まで。途中から「D計画本部」のメンバーになる。

 D計画本部の役割は沈没を予測するための海底調査や沈没対策の全般。小野寺以外のメンバーは大半が各省庁の官僚か国立大の教員だ。そもそも小野寺自身も元官僚なのである。

 こう書けばお分かりの通り、原作のD計画本部はドラマ版で環境官僚・天海啓示(小栗旬、38)らが所属する日本未来推進会議と性格が似ている。この点でもドラマ版は原作に寄せようとしている。

田所博士 原作、映画版、ドラマ版を比較

 原作の登場人物でドラマにも出てくるのは田所雄介博士だけだが、その分、香川照之(55)は原作のキャラクターをかなり忠実に再現しようとしている。

 原作の田所博士は学界のアウトサイダー。「野人」とも称されている。ドラマ版の田所博士と一緒。研究費を出してくれるなら、ヤバイ組織とも接触した。これも同じだ。

 ドラマ版の田所博士は環境ビジネスを手掛ける「Dプランズ社」と接点があったが、原作の田所博士は米海軍とつながる宗教団体「世界海洋教団」との関係を指摘された。

 ちなみに映画版の田所博士を演じたのは故・小林桂樹さん。いぶし銀の名優だった。当時50歳で現在の香川とほぼ同年代と言っていい。

 原作、映画版、ドラマ版の田所博士には共通点がある。いずれも一人称代名詞が「ワシ」なのだ。

 1973年とは違い、今の時代の50代が「ワシ」を使うのは珍しい。田所博士のキャラクターづくりを任されている香川が、原作を大切にしようと考えている表れと見ていいだろう。

 ドラマ版の第8話以降の見どころは移住先探しになるはずだが、これも原作と関連性がある。原作で移住交渉のカギを握るのは日本の優秀な技術者たち。中国やソ連(現ロシア)が彼らをほしがった。ドラマ版はこれをヒントにして「生島自動車」などの企業を交渉材料に使うことにしたのだろう。

 原作とドラマではもちろん違いがいくつもある。最たるものは日本人を救おうとする中心人物が官僚の天海であるところ。原作では首相だ。

 原作では首相の登場場面が多いのに、名前はない。映画版では「山本首相」と名前が付き、故・丹波哲郎さんが演じた。カッコイイ首相だった。

 ドラマ版の東山栄一首相(仲村トオル、56)のように優柔不断ではなく、関東が大地震に襲われ、東京が火の海になると、独断で宮城(皇居)の門を開かせる。市民を助けるためだ。

 泣き叫ぶ人たちを中継映像で目の当たりにした丹波さん演じる山本首相は、無線を通じ宮内庁長官に叫ぶ。

「宮城を空けさせる。命令だっ!」

 決断まで数秒。東山首相のように悩まなかった。首相のキャラも大違いだ。

 もっとも、原作とドラマ版にかなりの共通点があることには変わりがない。どうして「原作を無視している」との批判があるのだろう。その理由の1つは映画版のイメージが強いせいではないか。

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