小室夫妻が暮らすマンハッタンの物価は「他地域の1.5~2倍」 治安に不安も

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職場の近くのパブで談笑

 新天地ニューヨークで結婚生活を始めた小室夫妻。彼らが居を構えるマンハッタンの「ヘルズキッチン」とはどのようなエリアなのか。

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 シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を下地にした映画「ウエスト・サイド物語」が封切られたのはちょうど60年前。プエルトリコ系とポーランド系移民の少年グループが敵対し、悲劇へと至る青春群像を描いた名作は、まさしく小室夫妻が住むマンハッタンの「ヘルズキッチン」というエリアが舞台となっている。

 その新居から、隣接する「ミッドタウン」地区にある勤務先の法律事務所までおよそ1200メートル。到着2日後にはさっそく職場からほど近いパブで、同僚らしき面々と飲み交わすシーンも目撃されている。眼鏡をかけた小室さんは、先に入店していた仲間らとおよそ20分間談笑。テーブルからは歓声も上がっていたという。

 さらに先日、英紙「デイリーメール」が、週末の夫妻をキャッチした。現地時間の19日午後、眞子さんは単独で大手雑貨店を訪れ、1時間半ほどかけてタオルやハンガーなどを購入。帰途、大きな荷物を提げながら不慣れな地理に戸惑い、通行人に道を尋ねていたと報じている。周囲に護衛の姿は皆無、生まれて初めて“一人での買い物で道に迷う”経験をしたわけである。

 翌20日には夫妻で外出。タイムズスクエア近くにある公園までの道中、マンハッタンを散策した。

最初からマンハッタンは「思い切った決断」

 まさしく「バラ色の摩天楼ライフ」を満喫する小室夫妻。現地在住ジャーナリストの津山恵子氏が言う。

「ヘルズキッチンは、東西は8thアベニューからハドソン川に至るまで、南北は34ストリートから59ストリートまでの一帯を指します。“地獄の台所”という名が物語る通り、かつてはNY市でも最も治安の悪い地区のひとつでした。元々アイルランド系の移民が多く住んでおり、彼らはハドソン川沿いでの港湾労働や鉄道敷設の作業などに従事していました。その後、さまざまなギャングが幅を利かせるようになり、日々、抗争を繰り広げるような危険なエリアだったといわれています」

 往時は、映画さながらの雰囲気を醸していたというのだ。それが、

「1990年代半ばから、当時のジュリアーニ市長が掲げた治安対策によって、ヘルズキッチンの環境も大幅に改善されていきました。ブロードウェイ・シアターやカーネギーホール、ニューヨーク近代美術館にも近く、若い俳優やクリエーターらが移り住むようになってきたのです」

 北側の「アッパー・ウエストサイド」地区にはフォーダム大のロースクールがあり、住まいからは距離にして約800メートル。小室さんは、土地勘のある地に居を構えたというわけである。津山氏が続けて、

「マンハッタンの中では、非常に住みやすい地区といえるでしょう。『レストラン・ロウ』と呼ばれる多国籍の飲食店が立ち並ぶスポットもあり、とんかつやラーメンなどを出す店から大きなスーパーまで、食生活には困りません」

 それでも、

「ブルックリンやクイーンズといった他の地区と比べ、生活費が1.5~2倍かかる覚悟は必要です。若い人など、マンハッタンに勤務しながら少し離れた地区に住む人も少なくありません。そうしないとお金が貯まらない。最初からマンハッタンの中心で暮らし始めた小室さんは、なかなか思い切った決断をしたと感じます」

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