ビッグボス・新庄監督の意外な真実、メジャー時代の壮絶なイジメ、白人至上主義的な迫害

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日本人メディアへの取材対応を止めた理由

 米国在住の日本人メディア関係者はこう明かす。

「現地では、ボンズが黒人だったからと専ら囁かれていました。ケントは“白人至上主義”的なところがあり、黒人のスーパースターであるボンズをとにかく毛嫌いしている、という見方です。白人選手らと徒党を組み、ラテン系の正捕手ベニート・サンティアゴや日本人の新庄らも有色人種として“ボンズ一派”とみなし、ネチネチと見えないところで陰湿な嫌がらせを繰り返していたという話が伝わってきていました」

 実際、当時のケントは新庄番の日本人メディアが自分の囲み取材に入ってくると急にコメントをストップし、「新庄ばかり取材するジャパニーズが来たから俺はしゃべらない」「俺の前から今すぐ消え去ってくれ」などと言い放つことも日常茶飯事だった。

 チームスタッフを通じて日本人メディア一人ひとりに歯ブラシと歯磨き粉を渡し「タバコばかり吸う君たちは口が臭いから、これで口の中を清潔にしてくれ」と言伝することも多々あったという。

「日本人メディアへの嫌がらせを続けることで、ケントは新庄にも精神的プレッシャーをかけようとしていたのでしょう。おそらく、こういうギスギスしたチーム環境の中だったこともあり、新庄はSFジャイアンツへ移籍後、メッツ時代にほぼ必ず日々行っていた試合後の日本人メディアへの取材対応もパッタリとやめてしまった。とにかく、この頃の新庄はクラブハウスでも暗く、ダンマリを決め込んでいることが多かった」(前出の関係者)

メッツへUターン復帰した際の悲劇

 それでも新庄は腐ることなく、ただ黙々と仕事をこなし続けた。高い守備力や勝負強い打撃をダスティ・ベイカー監督から評価され、ほとんど他人を褒めることがなかったキングことボンズも「新庄は素晴らしいプレーヤーであり、何よりもナイスガイだ」と賞賛。

 MLBで2年目のこのシーズン、日本人メジャーリーガーとして初めてワールドシリーズ出場の快挙を成し遂げたサクセス・ストーリーの裏側には、壮絶な“イジメ”にも屈しなかった新庄氏のタフな精神力があったのである。

 しかし、新庄氏の“不遇”は再びメッツへUターン復帰した翌2003年シーズンも続いた。オープン戦で打率4割2分6厘と、リーグトップクラスの成績をマークしていたにもかかわらず、アート・ハウ監督にナゼか“敬遠”され、開幕戦では出場機会すら与えられなかったのだ。

 2003年シーズンの新庄氏を取材したBBWAA(全米野球記者協会)所属のスポーツ紙記者は次のように振り返る。

「何の因果なのか、このハウ監督にも『日本人嫌い』の一面があった。そのキャラクターをキッチリと身体検査せず、見極められなかったメッツのフロントにも問題があったのは言うまでもありません。ただ結局、新庄さんはメッツ復帰後も日本人嫌いの指揮官から露骨に疎外された挙げ句、中途半端な起用法を強いられることによって次第にペースを崩していくハメになった」

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