「茂木敏充」新幹事長が絶対口にしない日本新党時代 枝野と初当選同期であっという間に自民党復党の変節の過去

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 誰にでも1つや2つ、触れられたくない過去を持っているものだ。11月4日に自民党の幹事長に就任した茂木敏充(66)の場合それは、「国会議員としての初当選は自民党ではなく日本新党」だったことだという。(敬称略)

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 この過去に驚いている読者も、きっと少なくないだろう。茂木は「ザ・自民党」というイメージが定着しているのだから。

 さっそく茂木の半生を振り返ってみたいが、その前に人物評をご紹介しておく。自民党の関係者が言う。

「政策通として有名で、頭の良さは国会議員でもトップレベルでしょう。政治家の大半を馬鹿にしているエリート官僚でさえ、茂木さんには論破されるそうです。ただ、ご本人は認めたくないでしょうが、人望のなさでも知られています。何かあると周囲を怒鳴るパワハラ気質の持ち主だと、複数のメディアが記事にしました」

 初当選は1993年7月。党関係者は「その時、茂木さんは周囲のスタッフに『これからはセンセイと呼べ』と命じたそうです」と明かす。彼の人格を象徴するエピソードだと言えるだろう。

経済評論家として注目

 それでは茂木の経歴を振り返ってみよう。これだけの“知性派”だから、当然ながら高学歴の持ち主だ。

「茂木さんは1955年に栃木県足利市に生まれました。進学校の県立足利高校から東大に進み、経済学部を卒業します。新卒では商社の丸紅に就職しましたが、83年にハーバード大の大学院に留学。帰国して読売新聞に入社し、政治部に配属されました。そのため同社の代表取締役主筆・渡邉恒雄(95)にも可愛がられています」

 もっとも、読売新聞はすぐに退社し、コンサルティングで有名なマッキンゼー・アンド・カンパニーに転職。当時、同社の日本支社長だった大前研一(78)と出会う。

「大前さん自身が執筆やマスコミへの露出に積極的な人でした。茂木氏も最初は経済評論家として注目を集めました。1988年にはマッキンゼー社に在籍しながら著書『都会の不満 地方の不満』(中央公論社[当時])を上梓。朝日新聞の書評欄に取り上げられるほどで、ビジネス書のベストセラーランキングに入りました。これでテレビ出演の機会が増え、徐々に知名度を上げていきます」(同・記者)

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