松坂大輔がレ軍時代「ポールを掴んで肩を痛めた」と発言 評論家は「大人の発言」と指摘する理由

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口を閉ざした小林繁

 江川氏だけではない。江本氏の知る多くの選手が、引退に際しては過去の軋轢は“封印”し、恨み節は口にせず去っていったという。

「1つだけ具体的な話をしましょう。私は阪神OBで、1981年に引退しました。チームメイトだった投手の小林繁(1952〜2010)は83年に引退しましたが、その理由を『自分の思い描いたボールが投げられない』などと説明しました。それは決して嘘ではないでしょう。でも当時の小林は、体力面なら充分に現役レベルを維持していました。本当の理由は気力がなくなったことで、それは阪神フロントと対立していたからです。私も小林の気持ちはよく理解できましたが、彼は最後まで自分の口から真相を明かすことはありませんでした」

 ならば松坂とレッドソックスには、どんな“確執”があったのだろうか。江本氏は「考えられるのは、やはり調整方法を巡る対立ではないでしょうか」と言う。

「松坂くんの武器は、ずば抜けて早いストレートだったのは言うまでもありません。では弱点はと言うと、太りやすい体質だったことです。西武時代は徹底した走り込みと投げ込みで体重を調整していました。ところがレッドソックスにとって松坂は、59億円の買い物でした。彼を信じて任せればよかったのに、肩は消耗品だと神経質になった。大リーグらしからぬ“管理野球”で、松坂をコントロールしようとしたのです」(同・江本氏)

レッドソックスの“管理”

 朝日新聞は10月20日の朝刊に「怪物、最後の5球 背番号18をつけ、松坂大輔は去る プロ野球」の記事を掲載した。そこにレッドソックスの“管理”について、こう書かれている。

《大リーグの球数制限が厳しいと日本で広く認識されるようになったのは、松坂が理由ともいわれる。レッドソックス時代は「投げすぎ」とみられ、球団はキャッチボールの球数まで管理し、自主トレに「監視役」を送ったこともある》

「思うような練習ができなくなった松坂くんは、ストレートの威力が落ちました。そこで変化球で打者をかわすピッチングを取り入れようとしました。しかし、変化球は余計に肩や腕に負担をかけることが珍しくありません。本来はストレートでねじ伏せる実力を持っていたのですから、精神的なストレスもあったでしょう。悪循環が始まってしまい、成績が低迷するだけでなく、ケガにも泣かされました。遂に松坂くんは過去の輝きを取り戻すことはできなかったのです」(同・江本氏)

 もし引退会見で正直に、過去の不満を赤裸々に語ったとしても、今となっては何の意味もない。

「松坂くんは自分の本音をオブラートに包み、マスコミやファンが興味を持つようなストーリーを披露したのでしょう。誤解してほしくないのですが、松坂くんが嘘を言ったというわけではありません。肩を痛めた実体験があり、それを元にポールの話をしたはずです。ただその際、関係者を傷つけないよう大人の発言をしたと見ています」(同・江本氏)

デイリー新潮取材班

2021年11月3日掲載

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