大谷翔平の幼なじみ、恩師が明かす原点 異常なほどの負けず嫌い…ピッチングはいまひとつだった?

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どんぶり飯13杯

 そんな両親が唯一、心配したのが、大谷の身体。前出・千葉監督が述べた通り、高校入学まではガリガリの体型で、身長189センチで体重が66キロしかなかったそうだ。

「お母さんによれば、中学生になっても、夜9時に寝るほど睡眠量は多かったそうです。ただ、食は細かった。それが改善されたのが、花巻東高校に進学してから。寮生活の中で、量を食べることを指導され、今の身体の原型が出来上がったといえます」(同)

 その高校時代、1年間寮で相部屋だったのが、前出の佐々木大樹さんである。

「花巻東では食事もトレーニングのうちで、僕は1日どんぶり飯10杯でしたが、翔平は13杯のノルマが課せられていました。コーチが目を光らせているのでズルはできず、毎日が苦しかったと思います」

 全国的強豪だけに、同校は練習が厳しく、実家に帰れるのは年末年始だけ。外出も週1回1時間しか許されなかったという。

「だから、外に出られる時は『アメトーーク!』などのDVDを借りて部屋に帰り、一緒に見ていましたね。翔平は自分の好きな選手の動きを真似ながら研究していました。ピッチャーではダルビッシュ有選手、バッターでは高橋由伸選手が多かった」

 こうした努力が実ってか、高校3年間で大谷は20キロの増量に成功。高校3年の夏には、球速160キロをマークし、全国最注目の選手に。そこから日本ハム→メジャーへの道を歩み、今季の栄光に至ったのは周知の通りである。

 その原点の地・岩手。

「翔平」から「Shohei」となった教え子を見て、かつての指導者たちは何を思うか。

「夏頃からは、翔平がホームランを打つ度に、すごいなっていう驚きと共に寂しさが混じってきてね」

 と言うのは、浅利さん。

「俺なんか手の届かないところに行ってしまったような気がして。翔平がホームランを打つと、訳もなく涙が出てきたこともありましたよ。一方で、調子が悪くなると“頑張れ頑張れ”って心配になったりして」

 千葉監督も言う。

「もう“俺が指導した”なんて言えないよ。『翔平』なんて呼び捨てにできないよね。だから今は、怪我なくやってくれと遠くから願うだけです。そして、いつかまた水沢に来てほしいね。世界のスターだから遠い話になると思うけど」

 今後の注目は、MVPなるか否か。

 そして来シーズンこそ、悲願のベーブ・ルース超えを果たすだろうか。

週刊新潮 2021年10月14日号掲載

特集「『ベーブ・ルース』に迫った『心技体』 『大谷翔平』栄光の原点」より

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