すぎやまこういちさん、深かった“ゲーム愛” 世界中から収集したコレクション

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 9月30日に亡くなったすぎやまこういちさん(享年90)には、ゲーム好きの一面もあった。自身が音楽を手がけた「ドラゴンクエスト」シリーズはもちろんのこと、世界各国・古今東西のゲームを楽しんだ。週刊新潮の取材に、こんな“ゲーム愛”を明かしている。(「週刊新潮」2016年6月2日号より)

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生まれてこのかた、ゲームというゲームに挑戦してきました。私は東京は下谷の生まれですが、公務員だった父親が母と出会ったのが雀荘というほどのゲーム好き。ですから、私が4歳とか5歳のころからメンコやベーゴマはもちろんのこと、両親の影響で花札やポーカーも教わりました。

 印象深いのは戦時中のことです。父親が、カードゲームのコントラクトブリッジの定石が英文で書かれた本を、海軍から仕入れてきたことがありました。というのも、当時、コントラクトブリッジは士官たちのたしなみの一つでもあったのです。士官は海外の幹部と家族ぐるみで付き合うこともあったわけで、その際に覚えておかなくてはならないゲームの一つだったからです。手に入れた定石本をもとに家族で遊んでいましたね。

 後年、ゲームセンターにも熱中しました。コンピューターゲームが登場する80年代までは10年ほど六本木のゲームセンターに通い詰めていましたよ。当時は月に宇宙船を着陸させるゲームを楽しんでいましたね。携帯電話などない時代ですから、仕事先から自宅に問い合わせがあると妻が真っ先に探すのが六本木でした。

 その後、家庭用ゲーム機が登場すると、六本木通いはやめ、家に帰るようになりましたね。一世を風靡したPC8800シリーズはゲームを楽しむためだけに購入しました。ファミコンの登場は衝撃的。最初にやったのは「ドンキーコング」だったと思います。その後もスーパーファミコン、プレイステーションはもちろんのこと、ニンテンドー3DSも楽しんでいます。

 ゲーム好きが高じて、世界中のあらゆるゲームを収集するようになりました。約40年前から集めたゲームを保管するために、自宅の近くに部屋があります。そこには喫茶店から譲ってもらったインベーダーゲームやスロット、スーパーファミコン内蔵のシャープのテレピから、中国古典の人生ゲームである擲上元(ていじょうげん)、平安時代の貝合わせなども保管しています。古典ゲームは蚤の市や骨董屋、オークションなどで購入しています。

 モノポリーも全部で八つほどは持っています。中でもモスクワの空港で買ったモノポリーは思い出深い。1989年のことだったと思いますが、仕事の帰りに空港に行くと売られている。資本主義のゲームが社会主義の国で売られているのか、と驚きました。その2年後、本当にソ連が崩壊したのですから、妙に納得したものです。

 今でも3DSで「ドラゴンクエスト」をやるときは必ずクリアします。クリアだけではなく、レベルを99まで上げて、ポスを1ターンで倒すところまで突き詰めます。今年はドラクエが発売されて30年。現在はドラクエの新作の作曲をしなくてはならず、ゲームは少し休んでおりますが、再開できる日が待ち遠しいですね。

週刊新潮 2016年6月2日号掲載

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