高木新国対委員長に「女性下着ドロボー」の過去 被害者の妹らが明かした「合鍵を作って侵入」「手には白い手袋をはめて」

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侵入する前に白い手袋まで

「すると、警部補は敦賀署が高木毅を、下着の窃盗と住居侵入の疑いで取り調べたのは事実。犯行現場は敦賀市内。その後、事情は分からないが検挙には至らなかった、とほとんどの事実関係を認めた。当時、事件の詳しい内容や被害者については聞かなかった。記事を載せた後も高木サイドからは抗議がなかったので、事実関係を半ば認めたもの、と理解しました」(前出・『財界北陸』の記者)

 取り調べの事実を明かしたその警部補はすでに他界しているという。

 となれば、被害者に辿りつく術は噂の出所を丹念に追うしかないのだが、その作業の末、行き着いたのが事件の目撃者だ。その目撃者こそ、冒頭で触れた被害者家族に高木氏の車のナンバーを伝えた。近所のおばさん、である。

「自宅の2階で洋裁しとったら、近くに車が停まったんや。で、1階におりてきて車のナンバー見て、また2階に戻ってアイロン台に鉛筆でそのナンバーを書き留めておいたんや。なんでそんなことしたかというと、車から降りた人がご近所の家に入っていったからやけど、車降りる前、その人、白い手袋出したんや、車の中で。ほんで、白い手袋してから出た」

 侵入する前に手袋までするとは何とも用意周到で、初めての犯行とはとても思えないが、実際、被害者の妹(前出)はこう明かす。

「ウチだけじゃなく他のとこでもやっとったって聞きました。もちろん警察も知ってて、またかって……」

“息子のことを悪く書かないでくれ”

 最後に、一体なぜ、下着泥棒の前歴がある高木氏が過去7回も当選を重ね、大臣にまで上り詰めることができたのかについて触れておこう。それは先に触れた高木氏の父、高木孝一氏の存在が大きい。

 そもそも高木氏が下着泥棒を働くも事件化を免れたのは、敦賀市長で地元政界の“ドン”だった父・孝一氏が被害者家族に頭を下げて謝罪したからだが、「高木氏が国会議員になれたのも、もちろん父親のおかげです。嶺南地区と呼ばれる高木氏の地元は原発と建設会社の街で、その両方を押さえれば選挙では安泰。孝一氏はこの地区の選挙で勝つ術を知り尽くした男でした」

 と、先の地元政界関係者は語る。

「高木氏は大学卒業後、孝一氏が設立した『高木商事』の社長をやっていた、ただのドラ息子で、地方議員を経験することもなく、1996年、いきなり国政選挙に挑戦した。この選挙では善戦の末落選しましたが、4年後の選挙で見事に当選を果たしたのです」

 96年と2000年、いずれの選挙でも「下着泥棒」について触れた怪文書がばら撒かれたが、その裏で孝一氏は“火消し”のため、涙ぐましい努力をしていた。

「福井県では、小さなミニコミ新聞や雑誌が何十種類も発行されている。孝一氏はそういうところを回り、“息子のことを悪く書かないでくれ”と頼んでいた。お金も相当使ったのではないでしょうか」(同)

 ある地元雑誌の発行人もこう話す。

「08年の選挙の前、孝一さんが私を訪ねてきた。で、“息子がパンツ泥棒をやったという噂を流しているヤツがいるが、そういう噂が記事にならないように頼むよ”と言われました」

 来る総選挙は11月7日の投開票が予定される。国対委員長となった高木氏のパンツ泥棒の過去が蒸し返されるのだろうか。

デイリー新潮取材班

2021年10月4日掲載

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