江川・西本を彷彿…オリックス「山本由伸」「宮城大弥」は“最強の二枚看板”になれるか

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最下位から一転、首位争い

 佳境を迎えているプロ野球のペナントレース。パ・リーグでは、オリックスが2年連続の最下位から一転して、首位争いを演じる展開となっている。オリックスの躍進を支える原動力は、山本由伸と宮城大弥という左右の先発投手だ。

【2021年】(9月13日試合終了時点)
山本由伸
13勝5敗 防御率1.54 奪三振154 勝率.722
(勝利数リーグ1位、防御率1位、奪三振1位、勝率2位)

宮城大弥
11勝1敗 防御率2.13 奪三振109 勝率.917(
(勝利数リーグ2位、防御率2位、奪三振4位、勝率1位)

 いずれも先発投手としての主な指標の上位を占めており、今季の「最強の二枚看板」といえるだろう。ただ、プロ野球界には強力な「二枚看板」が過去にも存在している。過去の「二枚看板」と比べると、山本と宮城はどのぐらいに位置しているのか、成績をもとに分析した。

愛称は“ヨネカジ”

 まず、1950年代から60年代から。オリックスの前身である阪急の「二枚看板」で、“ヨネカジ”の愛称で親しまれた米田哲也と梶本隆夫である。

【1957年】
米田哲也 21勝16敗 防御率1.86 奪三振268 勝率.568
梶本隆夫 24勝16敗 防御率1.92 奪三振301 勝率.600

【1960年】
米田哲也 22勝16敗 防御率2.75 奪三振213 勝率.579
梶本隆夫 21勝18敗 防御率2.54 奪三振171 勝率.538

 57年には米田が21勝、梶本が24勝、60年には米田が22勝、梶本が21勝と揃って、20勝以上をマークする快挙を達成している。当時は他の投手が勝てなかったため、文字通り「二枚看板」としてチームを背負っていた。

 ただ、当時は、西鉄の稲尾和久や南海の杉浦忠の全盛期であり、“ヨネカジ”がリーグ内で突出していたわけではない。これに加えて、チームが強くなかったため、負け星も少なくなかった。阪急の順位は、57年と60年はいずれも4位で、「20勝投手」が二人もいながら、Bクラスに沈んでいる。

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