失明寸前の重傷から見事に復活…胴上げ投手の栄誉を与えられた“不屈の男”たち

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ガラスの破片で両目を負傷

 プロ野球の優勝決定時にマウンドにいた投手だけが味わえる胴上げ投手の感動。優勝の立役者となったエースや守護神が務めるのが、ほぼお約束だが、時には中継ぎとして連投でチームを支えた脇役や引退危機を克服した“不屈の男”に、この栄誉が与えられることもある。

 交通事故で失明寸前の重傷を負いながら、奇跡の復活を遂げ、球団初優勝の胴上げ投手になったのが、広島時代の金城基泰である。

 不幸なアクシデントが起きたのは、入団4年目、74年のオフ。同年、下手からの速球を武器にリーグ最多の20勝を挙げた金城は、ご褒美のリフレッシュ休暇で大分県の温泉に滞在中の10月12日、助手席に同乗していた車が対向車と正面衝突。ガラスの破片で両目を負傷し、一時は再起不能ともいわれた。

 だが、特殊なコンタクトレンズで、視力も日常生活に支障のない程度に回復。翌年4月に退院した金城は「前年のブランクを少しでも取り返したい」と、キャッチボールからスタート。8月7日のヤクルト戦、7回2死二塁のピンチにシーズン初登板をはたすと、打者7人をパーフェクトに抑え、見事復活の1勝を挙げる。

 前年より球威は落ちていたが、新球・チェンジアップを覚え、安定感の増した投球に、古葉竹識監督は「すべては彼の執念だ」と目を見張った。この勝利により、広島は7月8日以来の首位を奪回した。

“レフティーズ”のひとり

 そして、球団創設26年目の初優勝まであと1勝となった10月15日の巨人戦。1対0とリードの8回1死一、二塁のピンチに、古葉監督はエース・外木場義郎に代えて金城の名を告げた。

「事故で今年はダメだと思ったのに、最後に締めくくりで投げられるとは」と意気に感じた金城は、危なげない投球で最少リードを守り切った。

 そして、ホプキンスの貴重な3ランで4対0と広島がリードを広げた9回2死。金城は、柴田勲を左飛に打ち取り、ゲームセット。「あの感激だけは死んでも忘れない」という胴上げ投手の栄誉を手にした。

 96年の巨人は、最大11.5ゲーム差をひっくり返して2年ぶりの優勝を実現。“メーク・ミラクルV”と呼ばれたが、胴上げ投手になったのは、エース・斎藤雅樹でも、斎藤とリーグ最多勝のタイトルを分け合ったガルベスでもなく、4人の中継ぎ左腕“レフティーズ”のひとり、川口和久だった。

 広島時代にエースとして通算131勝を記録した川口だが、巨人にFA移籍後は活躍できず、2年目の同年も、5月に先発ローテから外され、2軍落ちの屈辱を味わった。一時は引退も考えたという。

 だが、ワンポイントや敗戦処理でもくさることなく黙々と投げつづけると、重要局面での登板も増え、9月24日の広島戦でプロ初セーブを挙げるなど、最も信頼できるリリーフに生まれ変わった。

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