目薬からスキンケア、再生医療へ 老舗会社の挑戦――山田邦雄(ロート製薬代表取締役会長)【佐藤優の頂上対決】

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 目薬のトップ企業という地位に安住することなく、次々と新規事業を興し、グローバルに展開してきたロート製薬。その「挑戦」を生む社内風土は、いかに生まれたのか。社員全員参加の旅行や運動会を行いつつ、いちはやく副業を解禁、社員の力を最大限引き出す仕掛けに満ちた創業家の経営術。

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佐藤 私の世代だと、ロート製薬といえば目薬とパンシロン胃腸薬の会社で、ロートと書かれた社屋を背景に無数の鳩が飛び出してくるテレビコマーシャルが思い出されます。

山田 派手にやっていましたね。当時、弊社はいまよりもっと規模が小さかったのに、コマーシャルは大々的に打っていました。このため、実際よりも大きな会社だと思っているお客さんがいましたね。

佐藤 山田さんは創業家の4代目ですね。もう子供の頃から、自分と会社を結びつけて見られてきたのではありませんか。

山田 そうですね。ただの山田君ではなく、常にロートの山田君でした。

佐藤 「アップダウンクイズ」や「クイズダービー」など、ゴールデンタイムの番組スポンサーでしたから、それだけ多くの人が見ている。

山田 やはり、どこか勝手に看板を背負わされているようなところがありましたね。

佐藤 そのロート製薬は、いまスキンケア関係の売り上げが6割以上で、再生医療に取り組まれる一方、薬膳レストランなど食品事業まで手がけられている。老舗企業でありながら、どこかベンチャー的な気風というか、さまざまな事業に果敢に挑んでいく雰囲気がありますね。

山田 振り返って考えてみると、2代目の山田輝郎(きろう)がなかなか変わった人物だったんですね。理想の会社を作るんだといって、1950年代に当時としては珍しい冷暖房付きの工場を作ったり、社員が昼休みにボートを漕いで寛げる池を作ったり、出社するのが楽しみになるような会社にしようとしたんです。それを「ロートユートピア」と呼んでいました。

佐藤 山田さんの祖父に当たる方ですね。

山田 はい。とにかく自分は人と同じことをしたくない、人に対しても同じことはやるな、という人でしたから、私なども小さな頃からその心構えを刷り込まれてきたんですよ。それが事業展開にも影響しているかもしれませんね。

佐藤 スキンケア分野には、どういうきっかけで参入されたのですか。

山田 最初は、メンソレータムの買収です。私は1980年の入社ですが、当時は経常利益率が20%近くあり、社内もどこか安心しきって、のんびりしているところがありました。

佐藤 目薬は当然、売り上げ1位ですよね。

山田 大衆薬の会社でしたから、製薬会社としては中堅企業ですが、おっしゃる通り、目薬はナンバーワンです。でもパンシロンは年々ランキングを下げ、陰りが見えていた。その中で父・安邦(やすくに)が経営の柱を増やそうと、1975年からアメリカのメンソレータムのライセンス販売を始め、1988年には同社を買収したんです。

佐藤 なるほど、この時、メンソレータムは近江兄弟社からロート製薬に移ったんですね。

山田 ええ。これがスキンケア事業の原点になります。当初は軟膏とリップクリームだけでしたが、かゆみ止めや水虫、頭皮湿疹用など皮膚に関する薬品でまず足場を固めました。

佐藤 それまで目薬と胃腸薬ですから、かなり分野が違います。しかも海外企業の買収はまだそれほど一般的ではなかったでしょうから、そうとう苦労されたのではないですか。

山田 そうですね。超が付くくらいドメスティックでやってきた会社が、いきなり海外の会社を経営しなくてはならなくなった。しかもメンソレータム社が経営破綻したところを、けっこう高値で買う羽目になったんですね。これを軌道に乗せるのは、非常にたいへんでした。

佐藤 メンソレータムは、明治期のキリスト教系ベンチャーといっていい。その収益で、キリスト教の布教を支えていました。提携していた近江兄弟社は私の母校である同志社大学と関係が深かったんです。

山田 メンソレータム社は、1899年創業の弊社よりも古い、小さな会社でした。軟膏しかないのに、世界中で販売していて、そのブランドだけは世界に轟いていた。

佐藤 では、世界の販売網がついてきたわけですね。

山田 はい。それで父も突然、英語の勉強をし始めるなど、社内にカルチャーショックが起きました。またメンソレータムのスキンケア商品のラインナップを増やしていくきっかけになりました。

佐藤 そこから薬だけでなく、化粧品にも進出していった。

山田 これは私がロサンゼルスまで行って、ゼイン・オバジ先生に直談判したんですね。オバジ先生は長らくスキンケアの研究をされていた方で、肌の不調は、肌の表面だけでなく内部の衰えだとして、内部からその機能をうまく甦らせる機能性化粧品「Obagi」を出していました。弊社は2001年に彼のオバジ・メディカル・プロダクツからライセンス供与を受け、日本市場向けの商品を開発、販売を始めました。

佐藤 化粧品は名だたる大手の激戦区でしょう。

山田 当時、いくつもの薬品会社が化粧品に挑戦したのですが、ほとんど成功していなかった。でも化粧品市場は巨大ですし、女性の美に対する欲求はキリがなく、無限といっていい。他社が成功していないんだったら「いっちょ、やったるか」という感じですよ。

佐藤 やはりベンチャーの気風がある。

山田 「Obagi」は、医薬品の見地から開発した化粧品の先駆け的な存在になったと思います。ただ高価格帯なので、このシリーズの販売を受けて、もっと日常的に使う化粧品を手掛けようじゃないかという空気が社内に生まれました。そして誕生したのが「肌ラボ」シリーズです。

佐藤 これにはどんな特徴があるのですか。

山田 化粧水にヒアルロン酸を採用したんです。潤い成分であるヒアルロン酸は、人間の肌にとって大切なものですが、年齢とともに減少していきます。これを化粧水に入れたところ、今までの製品にないモチモチ感を体感できることがわかった。開発チームの中心になったのは、キャリア採用で弊社に入社した20代の女性社員でした。

再生医療はチャンス

佐藤 こういう事例があると組織は活気づきますよね。いま力を入れられている再生医療分野はこのスキンケアの技術が生かされていると聞きました。

山田 無菌で目薬を作る技術と、スキンケアの細胞を扱う技術の融合、という面もあるにはありますが、それが使えそうだからやったというよりは、これも「再生医療、やったろか」みたいな感じで始めたんですね。そうしたら蓄積されてきた技術が役立ったという感じです。

佐藤 なるほど、テーマが先にあった。

山田 日本の医療は、医師の先生方個人の技術は素晴らしいものがありますが、産業としては、どちらかというと遅れているんですね。医薬品は大幅に輸入超過の状態です。

佐藤 確かに日本の医療は独自の生態系を持っている気がします。技術も移植はほとんどなく、一方で透析がものすごく普及しているなど、いびつなところがあります。

山田 良くも悪くも医療保険制度がしっかりしているがゆえに、ガラパゴス状態になっている。製薬は欧米の大手とはかなりの差があります。その中で、再生医療の基礎となる細胞という領域は、これからどんどん新しい技術が生まれてくると思うのです。だから弊社のようなさほど大きくない会社でも、新しいチャレンジとして可能性がある。何年か後には弊社の再生医療が世界に通用するような技術や事業にならないかと思い、2013年から始めてみたというところです。

佐藤 再生医療はiPS細胞の山中教授が有名ですが、それとはどう違うのですか。

山田 再生医療には、人工的に作り出す多能性幹細胞を使うものと、私たちの体の中にある体性幹細胞を使うものと二つあります。前者の代表はiPS細胞で、後者の代表がMSC(間葉系幹細胞)です。弊社も大阪大学の西田幸二教授とともにiPS細胞から角膜上皮細胞を作る方法を確立し、これから角膜疾患治療に役立てようとしていますが、わりと進んでいるのはMSCのほうです。

佐藤 どのような仕組みなのですか。

山田 MSCはもともと体内にあって、脂肪や骨、軟骨などさまざまな細胞になることができます。私どもが使っているのは主に脂肪細胞から抽出したMSCで、これを培養して体外から患部に投与すると、さまざまな指令を出して、自己治癒力を活性化させます。例えば、炎症を抑えることができます。人間の身体は突き詰めれば細胞からできていますから、どんな不具合が起きても、基本的に細胞をちゃんと戻せば治ります。

佐藤 これをどんな疾患に使うのですか。

山田 肝硬変、重症心不全、腎疾患、それから新型コロナウイルス感染症による重症肺炎などですね。肝硬変の治療薬が一番進んでいて、次が重症心不全です。冠動脈手術の際に併用し、心臓の表面にMSCをスプレーで投与する。

佐藤 スプレー、ですか。

山田 バイパス手術によって血流が改善しますが、同時に心臓の表面にMSCをスプレーすると、壊死しかかった心臓の細胞が収縮力を回復します。

佐藤 もうこれらは治験に進まれているのですか。

山田 はい、それぞれ治験に進んでいます。治療法として確立するまで、あと2、3年くらいじゃないでしょうか。

佐藤 山中教授のiPS細胞は、時間がかかっていますよね。

山田 iPS細胞から臓器を培養して移植するというレベルの話だと、そうとう時間がかかるでしょうね。

佐藤 でも中国は違いますよ。速い。追い抜いてしまうかもしれない。

山田 明確に国家戦略としてやっていますからね。ただ、再生医療は日本人に向いているところもあるんです。先ほどお話ししたiPS細胞から角膜上皮細胞を作る治療でも、細胞をシート状にして移植するのですが、こうした細かい作業は日本人が得意だと思うので、何とかこの分野で世界に打ち出せる技術を作り出したいですね。

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