中田翔よ、大阪桐蔭時代の初心を忘れるべからず…推定飛距離170メートル「伝説の本塁打」

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“トラブルメイカー”というイメージが定着

 8月20日、球界を揺るがす衝撃的なニュースが飛び込んできた。チームメイトへの暴力行為で無期限出場停止処分を受けていた中田翔が、日本ハムから巨人に無償トレードされることが発表されたのだ。中田への処分は、巨人移籍に伴って解除され、早くも一軍に合流した。これは、巨人・原辰徳監督が自ら“救済”に動いた電撃トレードであり、中田は幸いにも、プロ野球選手として出直しの機会を与えられた格好だ。

 今季の中田は、開幕直後から極度の不振に陥り、4月には自身のプレーに対する苛立ちからベンチ裏で転倒して負傷。6月にはプレー中に腰を痛めて途中交代となるなど、レギュラー獲得後では最低の成績となっている。日本ハム時代の金髪や金のネックレスといった風貌もあって、すっかり“トラブルメーカー”というイメージが定着してしまった中田だが、野球選手としての才能に関しては超一流であることは疑いのない事実である。

 多くの有望選手が集まる大阪桐蔭で入学直後からファーストのレギュラーとなると、1年夏に出場した甲子園では初戦の春日部共栄戦で決勝のホームランを含む4安打3打点というド派手なデビューを飾っている。また、投手としてもリリーフでマウンドに上がり、140キロ台中盤のストレートはとても1年生とは思えない迫力があった。

 当時のチームにはエースの辻内崇伸(元巨人)、4番の平田良介(中日)とともにこの年のドラフト1位でプロ入りする3年生がプレーしていたが、投手としても野手としてもスケールの大きさは、中田が遥かに上回っているように感じたのをよく覚えている。

 中田はその後2年夏、3年春にも甲子園に出場。2年夏にはその年の選抜優勝校の横浜戦でセンターバックスクリーン横へ特大の一発を放ち、3年春には佐野日大戦で1試合2本塁打と、改めて怪物ぶりを見せつけている。投手としては故障に苦しんだが、それでも3年春の選抜ではエースとして見事なピッチングを見せた。

西谷監督が野球に対する姿勢には問題がない

 そんな中田の高校時代の伝説が、今でも残っているのが和歌山県の紀三井寺球場だ。2006年秋の近畿大会、当時2年生だった中田はレフトスタンドを大きく超える場外弾を放ち、ボールが発見された距離までは188.41メートルであることが確認され、推定飛距離は170メートルと認定された。この数字を記した認定証と、そのホームランボールは、球場のある紀三井寺公園の陸上競技場のロビーに展示されている。金属バットとはいえ、規格外の飛距離であることは間違いないだろう。

 3年夏は大阪大会の決勝で敗れ、甲子園の土を踏むことはできなかったが、最終的に高校通算ホームランは87本をマーク。甲子園通算13本塁打の大記録を持つ清原和博(元西武など)も、当時の中田のバッティングを見て、初めて自分より凄い高校生のバッターが出てきたと思ったとコメントしている。

 また、中田本人は高校時代について、バッティングよりもピッチングの方が熱心だったとも話しており、そんな状態でこれだけのホームランを放ってきたというのは驚きである。

 ちなみに、中田は中学時代から素行に問題があり、そのことを理由に勧誘することを辞めた強豪校もあると言われているが、大阪桐蔭の西谷浩一監督は何度も中田のプレーを見て、野球に対する姿勢には問題がないと判断して熱心に声をかけたという逸話も残っている。

 高校時代の中田を見ていても、ただ打つ、投げるだけでなく走塁や守備などにも手を抜くことなくプレーしていた印象が強い。そして、今の中田に必要なのはまさにそのような姿勢ではないだろうか。

 今年の夏の甲子園では、中田の母校である大阪桐蔭が、降りしきる雨の中でも集中力を切らすことなく、見事な戦いぶりを見せた。彼らの中にも中田のプレーに影響を受けた選手も少なくないはずだ。そんな後輩たちのためにも、もう一度、初心にかえって、野球に対して真摯に向き合い、再びグラウンドで大きなアーチを見せてくれることを切に願いたい。

西尾典文(にしお・のりふみ)
野球ライター。愛知県出身。1979年生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行う。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。

デイリー新潮取材班編集

2021年8月22日掲載

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