タリバン制圧でいま現地はどうなっているのか 「宝塚・アフガニスタン友好協会」代表に聞いた

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 米軍が撤退したアフガニスタンを反政府勢力タリバンが完全制圧し、米国に支えられてきた政権のガニ大統領はいち早く国外脱出した。タリバン首脳部の広報は「人々に危害を加えたり財産を奪ったりしない」とした趣旨の声明を出したが、現地は恐怖感と不安感に襲われている。長年、アフガニスタンの女性などに対する支援を続けてきた「宝塚・アフガニスタン友好協会」の西垣敬子代表(85)に急遽、伺った。以下、要約する。

 私の人生でタリバン時代を経験するのはこれで2回目です。今回は現地に入っている訳ではありませんが。1994年に初めて内戦中のアフガニスタンに入り、2年後にタリバン時代が始まりました。

 タリバンとは神学生という意味の名詞の複数形です。出会ったタリバン兵士たちは真面目で礼儀正しく親切な若者だったという印象でした。

 それがのちにだんだんと変質していきました。バーミヤンなどの重要な仏教美術を爆破したり、女性を迫害したりするようになってしまいました。現地でむち打ちの刑も見たことがあります。もっともブルカなどは女性が強制的に被せられているように思われていますが元来、アフガニスタンでは既婚者はブルカを被る習慣があったもので、やや誤解もあります。ブルカの中では自由にお化粧したりしていました。でもやはり若い女性はブルカが嫌いです。

 タリバン政権はNY同時多発テロで「アルカイダをタリバンがかくまっている」と米国が介入してくる2001年まで続きました。

 あれから20年以上たって再び政権に復活したタリバンが今、どんな考えなのか、はっきりせず不安もあります。

 今回連絡を取り合った中でタリバンを一番恐がっているのが1995年にジャララバードで知り合って私の通訳をしてくれた男性です。当時は内戦中で彼は私が支援していた孤児院の英語の教師をしていました。やがて2002年に戦争が終わり、かれは現地の国立大学の英語の教師になりました。その後、奨学金(USAIDアメリカ国際開発庁)を得て米国に留学することになりました。妻とたくさんの子どももいて躊躇していたのを私が「行くべきだ」と背中を押しました。2年後、米国で修士号を取ってアフガンに戻り現在も大学で教員をしています。正直者で冗談が上手く家族を大切にする人です。

 彼は今回、「タリバンに米国留学組が狙われている。すでに二人殺された。三人目になるかもしれない」と恐怖にかられた様子で知らせてきました。ジャララバードはパキスタンに近く、タリバンだけではなくIS(イスラム国)なども絶えず出入りしています。今、彼の履歴書などをまとめていますが、日本政府は簡単に受け入れてはくれません。難民申請を待っていたら一年はかかるし、その間に殺されでもしないかと心配しています。もっとも彼は、イスラム教のモスクの指導者である「イマーム」の資格を持っていて人々に慕われているので、タリバンも手荒なことはしないのではないかとは思うのですが。

 お世話になっているヘラート大学の美術専門の男性教授は、ヘラート陥落後すぐ、いつも私に送信してきてくれた細密画の写真の画面をすべて削除しました。彼の作品には女性の肖像画などもあり危険だと考えたのだと思います。彼のSNSも不通となり、教授の情報はキルギスの大学に留学している彼のお嬢さんを通してのやり取りになっています。彼はアフガニスタンで名が売れているので「自分の作品はタリバンに全部燃やされてしまうだろう」と恐れているようです。

 ただ、タリバンはISなどとは違います。ISはアラブ系ですが、タリバンはアフガン(パシュトゥン)ですし。旧政府の高官とかを襲撃することはあるかもしれませんが、基本的には一般の庶民を個別に襲ったりはしないと思います。規律があるはずです。ただ統制が行き届かない末端の兵士などは何をするかわからず危ないですね。昔のタリバンも末端の兵士たちは文盲のような人も多かった。20年経って少しは成熟していると期待するばかりです。

 今回カーブル空港で飛行機に人々が群がる報道を見て1975年のベトナム戦争で負けた米軍が命からがらヘリコプターで脱出する光景を思い起こしてしまいました。カーブル空港はとても狭いのです。私も現地では政変などが起きたらどうしようか と常に考えていました。東部のジャララバードから車なら1時間くらいで国境のトルハム、カイバル峠を経てパキスタンのペシャワルへ出られます。しかし首都カーブルは内陸の山岳都市です。陸路で逃げるならジャララバードまで下ってカイバル峠へ出なければなりません。西方のヘラートは遠すぎるし。だから脱出は狭いカーブル空港に殺到してしまいます。

 20年近く前にカーブルの宿泊先に滞在中、外国人政府関係者に聞いた話ですが、一旦ことが起きて脱出せねばならなくなった時、空港では離陸に国別の順番がある。そして日本は10番以内に入っていなかった! 一生懸命日本も支援しているのに、と思ったことがあります。もっともこれはアフガニスタン政府が決めたことではなく、米仏など外国が決めたことでしたが。

 友人たちは今、「大丈夫?」とメールすると一応は「大丈夫」とは言ってくるのですが。一応みんなタリバンを怖がっています。外出制限もあり職場はおろか買い物も満足にできないそうです。

 タリバンへの大きな不安は当然だと思いますが、一方で米国に支えられたガニ政権は汚職などでひどい腐敗ぶりでした。復興支援物資なども独り占めしているともいわれ、公務員などの給料もまともに払っていないようで、ジャララバードの大学の教員も給料がカットされたと聞きました。もはや倒れてもやむを得ないような腐敗政権でした。そうした部分は新政権になってまともになるのならいいのですが。

 今回、タリバンがカーブルを制圧し大統領府の中に入った映像を見ると、部屋の後ろに大きな絵画があり、他の部屋にもいくつかの絵がありました。普通ならあり得ない。従来の彼らなら絵は即刻破壊したはずで、少しは変わったのかなとも思いました。

 アフガニスタンで私は、女性のための隠れ学校や難民キャンプの支援をし、2003年にはジャララバードのナンガルハル大学に女子トイレを作り、2007年に女子寮も建設しました。女子学生たちは本当に喜んでくれました。今年の3月にも女子寮は「新入生が入って今年も満杯です」という嬉しい写真が届きました。残念ながら今回の政変でしばらくは閉鎖されるでしょう。

 ジャララバードはパシュトゥン人の町で、パキスタンにも近く、タリバンのみならずISやその他のグループも絶えず国境を越えて出入りして複雑な様相を呈しています。またアフガニスタンは多民族国家でとても難しい国なのです。基本的にこれまでの混乱は、旧ソ連軍の撤退の後アフガニスタンに介入してきた米国がもたらしたものです。とはいえ、今回の米軍の撤退は少し早すぎたのでしょう。タリバンの首都制圧はあっという間でした。今後半年以上は混乱が続くと思います。基本的にアフガニスタンの経済は逼迫していますので、国際的に孤立すればたちゆかなくなりますからタリバンもそんなに馬鹿なことはしないと期待したいのです。

 2016年の5月を最後に20年以上通ったアフガニスタンへの現地入り支援を終え、最近はSNSを使ってヘラート大学の女子学生の細密画をクリアファイルにしたり塗り絵にしたりして売り上げを現地に送っています。今年の春には日本で初めてヘラートの細密画の展覧会を開催しました。そんな私ですがこの歳になってまた! 再びタリバン政権が復活するなどとは思いもしませんでした。

 もちろん、かれらは市民を皆殺しにするわけではないし、国際社会からの孤立は避けなければならないことくらいは分かっているとは思います。遠い日本の宝塚市から成り行きを見守ることしかできず、毎日、ニュースを見ながら歯がゆい思いで現地と連絡を取り合っています。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

デイリー新潮取材班編集

2021年8月19日掲載

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