【藤島メリー氏死去】 ジャニーズを創業から支えた美学とディズニーとの共通点

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2021年08月18日

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その実態は広く知られているとは言えない

 ジャニーズ事務所の藤島メリー泰子名誉会長が肺炎のため今月14日に亡くなっていたことが明らかとなった。享年93。2019年に亡くなった弟のジャニー喜多川氏(享年87)と二人三脚で、ジャニーズ事務所を立ち上げから支え続けた巨星だった。その足跡を『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)の著者、霜田明寛氏が辿る(文中敬称略)。

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 またひとり、戦後から現在に至る“芸能”を作り上げた人物が逝ってしまった。

 藤島メリー泰子氏。弟のジャニー喜多川氏とともにジャニーズ事務所を創業し、長年、副社長を務めた。2019年にジャニー氏が亡くなった後は、代表取締役会長に就任。昨年9月4日付で退任し名誉会長となっていた。

 単に大きな芸能事務所を作ったというだけではない。日本に男性アイドルという文化を創り出したといっていい功労者の2人だが、メディアにもほとんど登場せず、その実態は広く知られているとは言えない。

 もともと、ジャニー喜多川氏は、自身が姿を見せない理由をこう語っていたことがある。

「ビートルズの元マネージャーだったブライアン・エプスタインがメンバーに囲まれ、ド真ん中に立って映っている写真がありましてね。彼が完全にスターなんですよ。それを見た瞬間、これじゃあないと思ったんです。陰に徹しなきゃいけないって。当たり前の話ですが、ファンはタレントに付いてくれているわけで、僕に付いてるわけじゃない。彼らのイメージを周囲のスタッフが少しでも損なってしまってはファンの皆様に申し訳ないですからね」(SPA!1990年7月4日号)

タレントと心の通った運命共同体

 タレントのイメージを損なわないために陰の存在に徹する――ビートルズを反面教師にそれを貫いてきた姉弟だが、ことジャニー喜多川氏に関しては、KinKi Kidsの堂本剛がモノマネを始めて以降、後輩もそれに追随したり、死後タレントたちが色々なエピソードを語ったりと、その輪郭は徐々に知られるようになってきている。だが、メリーに関しては名前だけは知っていても、その輪郭すらわからない、というのが衆目の一致するところだろう。

 初代ジャニーズのメンバーだったあおい輝彦は、かつて、その人となりをこう語っている。

「礼儀にうるさかったけど、思いやりがあって、試験の時などは梅干し入りのお茶を出してくれたりしましたよ。(日系)二世だけど、日本人以上に古いタイプの日本人。『マネージャーとしては、タレントと心の通った運命共同体でありたい』と言ってましたね」(週刊サンケイ1986年10月30日号)

 タレントと心の通った運命共同体でありたい――。

 実はメリーが心を通わせていたのは、自社のタレントとだけではない。

 作曲家・服部良一の長男であり、昨年亡くなった作曲家の服部克久は、1950年に服部良一と、「買物ブギー」などで知られる歌手・笠置シヅ子の通訳を兼ねた世話をしたのがジャニーとメリーの2人だと証言している。

「父と笠置さんは1950年にハワイを振り出しに米ロサンゼルスやニューヨークなどで公演している。ロスで通訳を兼ねて父たちの世話をしてくれたのが、現地で育ったジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんと姉で副社長のメリー喜多川さんだった。やがて姉弟は日本に移住することになり、しばらく我が家に入り浸っていた時期がある。僕や妹たちはすっかり彼らと仲良しとなった」(日経新聞2016年11月9日 服部克久「私の履歴書」9)

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