レスリング金の「乙黒拓斗」 この1年で見事に修正した悪癖とは

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 決して格好のいいフィニッシュではなかった。東京五輪閉会式の前日の8月7日夜、レスリングの男子フリースタイル65キロ級決勝は乙黒拓斗(22=自衛隊)がマットに上がった。決勝の相手はハジ・アリエフ(アゼルバイジャン)。2―2の接戦のままで残り30秒。そのままなら、後で点を取った方が勝つルールなので先制していた乙黒拓斗は敗北する。「もう駄目か」と思われた瞬間だった。アリエフのタックルを素早くかわして右足を取った。もつれ合ったがアリエフが崩れ、乙黒拓斗は背中から倒れず堪えた。これで2点を加えて4-2。さらに相手のチャレンジ(ジャッジへの不服申し立て)の失敗で1点を追加した。しかし、残り10秒になると逆転を恐れてマット上を二度逃げ回ったため相手に2点が入り5-4と追いすがられた。勝利のブザーでスタンドの兄圭祐(24)に向かってガッツポーズし「ウォー」と吠えた。「ラスト30秒、負けてたのは覚えている。それからは本当に何も覚えてない」と乙黒は振り返った。

 兄に渡された日の丸でマットを回り、降りると「兄の借りも返したいと頑張りました」とうれし涙だった。フリースタイル74キロ級の兄の圭祐とは悲願の兄弟五輪出場を果たしたが、兄は一回戦で敗退した。

「オリンピックの最終日で、始まったときから違う競技の選手が金メダルを取ったりしてて、すごいプレッシャーだった。厳しいトーナメントだったけど、みんなが一致団結して自分を勝たせようとしてくれてすごくうれしいです」と感謝した。

 男子としてはフリー66キロ級の米満達弘の12年ロンドン以来、2大会ぶりの金メダルである。金4個の「あっぱれ女子」にはかなわないが「日本のレスリングは女子頼り」に一矢報いた。

虐待と思われないように階下の人がいないうち

 山梨県笛吹市生まれ。高校時代にレスリングをしていた父の正也さんから、兄とともに小学校の時から特訓を受けた。アパート住まいの頃は、下の人が外出したのを見計らって練習開始。騒音の迷惑を避ける意味もあるが、「虐待と勘違いされないように」でもあったという。同市の一軒家に移ってからは8畳間でマットを敷いて夜遅くまで練習した。小学校高学年になると早くも山梨学院大学に練習に行き、広いマットの感覚も身に着けたという。中学は東京のエリートアカデミー、帝京高校では1年からインターハイで3連覇し、山梨学院に入った。そして自衛隊。すべて兄と同じコースだった。

 乙黒拓斗は3年前、山梨学院大学2年生の時、18年6月の全日本選抜選手権を65キロ級で初制覇し、秋の世界選手権を19歳で最年少優勝して一挙に注目された。身長は173センチと高く、レスラーとしてはかなり細身の乙黒はトップクラスの体操選手になれたと思われるアクロバティックな空中技も駆使してきた。だが、すい星の如くデビューしたものの、翌年6月の全日本選抜選手権では樋口黎(リオデジャネイロ五輪フリー57キロ級銀メダル)に敗北した。

苛立つ悪癖を修正

「天才肌だがいい時と悪い時の差が大きいムラッ気のある選手」という印象は否めなかった。さらに、世界にはすぐに研究されていた。2019年9月の世界選手権(カザフスタン)ではロシアのG・ラシドフに敗北するなどで5位に終わった。乙黒がジャッジに抗議していつまでもマットから降りなかった光景を筆者は覚えている。乙黒拓斗は試合中、うまくいかないとすぐに苛立つ悪い性格があったが、相手は指を掴むなど「反則すれすれ」を繰り返し、「苛立ち」が出るのを待っていたのだろう。

 今回は準決勝でそのラシドフと当たり、きっちり勝利した。「二回負けたら屈辱でしかないですから」。相手の挑発に乗らないことを山梨学院大の小幡邦彦監督(40)から諭された。小幡氏は「コロナで延期になったこの一年でイライラを抑えられるようになった」と話していた。

 東京五輪ではアクロバティックな技は見られなかったが、乙黒拓斗は「計算ずくのレスリング」で、3年前の世界一が「フロック(まぐれ)」ではなかったことを証明してみせたのだ。乙黒拓斗という選手は、インタビューでも話に力がこもらずちょっと「ふにゃふにゃした」印象、見かけもクールで格闘技の選手には見えない。だが、マットに上がると「闘争心の塊」の別人になるのは子供の頃からだったという。

 一見「努力しない天才肌」にも見えるが小幡監督によると全く違う。7月のリモート会見で小幡氏は「拓斗ほど努力ができる選手を見たことがない。努力できる天才です」と話していた。プロボクシングの名選手、輪島功―氏の「『才能があるのに努力しない、もったいない』という人がいるが意味のない言葉。努力できることが才能です」という至言を思い出す。

高田総監督が果たせなかった五輪2連覇

 山梨学院大学の総監督として、子供の頃から乙黒兄弟を見守ってきた高田裕司氏(同大教授)は「決勝は拓斗の鋭い攻撃なら残り30秒あれば十分と思っていたが、よくやってくれた。グランドで危ない形になっても背中から落ちないのは並外れた柔らかさですね。決勝相手のアリエフは、世界選手権で拓斗が一度勝っているが、準々決勝も準決勝もハンガリー、ロシアと強い選手ばかりと当たりながらよく頑張った。延期になってのこの一年で拓斗は精神面でも大きく成長したのではないか。小幡監督もよく指導してくれた。試合中などすぐ苛立つようなところもあったが、春から社会人になって生活規律の厳しい自衛隊で鍛えられ、成長した」と目を細める。

 世界選手権4度優勝の1970年代の「天才レスラー」高田裕司氏が五輪で初優勝したのはモントリオール(1976年)。乙黒と同じ22歳だった。乙黒が三年前に破った世界選手権最年少の記録は高田氏を抜いたのだった。現役時代の高田氏はライバルたちから「手が届いたと思ったらもうそこにいない」と言われた、豹やピューマのような俊敏な男だった。だが「連覇間違いなし」と言われたモスクワ五輪は日本のボイコットに泣いた。全盛期を過ぎてからのロサンゼルス五輪は銅メダルだった。自らの思いからも「拓斗には絶対にパリで連覇できるはず」と思いを込める。

 東京五輪では乙黒兄弟、フリー57キロ級の高橋侑希と男子の代表5人中3人が山梨学院大出身者から選ばれていた。「天才レスラーの先輩」として高田氏は「圭祐と高橋は残念でしたが、柔道女子の浜田(尚理)選手も金メダルで、大学は盛り上がっていますよ。拓斗にはパリでも頑張ってもらい、絶対に私以上の成績を残してほしい」と期待する。男子レスリングで五輪を連覇した日本人は、東京五輪(1964年)メキシコ五輪(1968年)でのフリースタイル・バンタム級の上武洋次郎しかいない。

 レスリング競技は最終日のこの日、女子50キロ級で乙黒拓斗と同い年の須崎優衣(22=早稲田大)が決勝まで無失点、すべてテクニカルフォールという驚異の快進撃で優勝した。

 伊調馨、吉田沙保里という「大黒柱二人」が抜けて心配されたレスリングの金メダルは、蓋を開ければリオ五輪の4個(すべて女子)を上回り、57年前の東京五輪と並ぶ5個を獲得した。日本レスリングは今回の東京五輪で新たな大きな第一歩を踏み出した。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

デイリー新潮取材班編集

2021年8月15日掲載

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