中央区に「月1.5万円」で住める一軒家が 銀座まで数分…都心の島・佃島の魅力とは

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社会人として100点満点すぎる文章

 一つ用事をすませて、昼過ぎから路地を歩いた。木造の下見板張りの4軒長屋や2軒長屋がギュウギュウにひしめいて、落語に出てくる生活空間を彷彿とさせる江戸の風情を今に残す。路地の幅は2メートルから4メートルほどだろうか。

 多くの家が路地にせり出すほど大量の植木を育てている。造花で色鮮やかに飾られた軒先もある。

 たまに平家もあるが、どの家もだいたい2階建てだ。2階にはわずかに洗濯物が干せる、小さなバルコニーがある。

 猫のために作られた小さなおうちもある。路地は完全に住民の生活空間の一部になっている。発泡スチロールとダンボールで作られた箱に新聞紙を敷きつめたこの猫の家は、よほど居心地が良いのだろう。住人は起きてはいるが、一切箱から出てこない。名前は、みっこちゃんというらしい。

「みっこちゃんにご飯をくれる方へ
いつも、ご飯ありがとうございます。ただいつも全て残してしまっています。みっこちゃんには毎日、みっこちゃんの大好きなご飯をあげていますので、安心してください。これからも、みっこちゃんを沢山なでてあげて下さい。ニャー」

 相手に感謝しつつも、しっかりお断りし、でも関係性はちゃんと維持していこうという、社会人として100点満点すぎる文章だった。

 真鍮製の笠をまとった裸電球や、飾り格子を施した玄関上のはめ殺し小窓、「京橋區」と書かれた標識など、よくみるとあちらこちらで、江戸から令和にいたるどこかの時点で、いろんなパーツの時間が止まっている。

 建築に興味があれば、丹念に見て歩くだけで楽しいだろ……。

「おわ!」

 目線の高さの窓を開け放したまま、おばあさんがワイルドに着替えていた。すみません……。

かつての魚市場の名残を感じさせる屋号

 異常に細い扉、異常に小さい扉など、赤瀬川原平的な世界観もひしめいているが、歴史的由来の確かなものもある。

 レトロな長屋の軒先には、「用水」という文字と名字とが書かれた大きな石の水槽がある。かつて、火事が起きた際に利用するため配された防火水槽だろう。

 町のあちらこちらには、井戸もある。かつて趣味のような仕事で、東京の街中にある井戸をひたすら探したことがある。上野や品川港南口近辺など、街中にいまも昔ながらの井戸が多発するエリアはいくつか残されているが、おそらく佃島はもっとも都心に存在する、井戸多発エリアだ。佃の路地は、よく見れば不思議の宝庫だ。1丁目から2丁目界隈の路地では、名字の表札の他に、もう一つ表札がある家を見かける。

「佃三亀」「佃瀧」「佃茂」……。

 古めかしい木札に、多くは「佃」を冠した、屋号のような名前が書かれている。漁師や仲卸業といった家業の屋号だろう。かつてこの佃島の漁師があまった魚を売買し始めたのが日本橋の魚市場の発祥だ。その機能が築地にうつったあとも、その流れをくんだ仲卸業者が築地の水産物売買を支えた。築地の場外だったあたりを歩くと「佃」とつく屋号を掲げる看板をよく目にするのはそのためだ。

 銀座の隣に、まだかろうじて残る漁師町の風情。それもいつまで続くかはわからない。

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