元国会議員「宮崎謙介氏」が語るコンサルタントというお仕事 22社と契約で妻より高収入

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 不倫騒動で議員辞職してから早5年――。元衆院議員の宮崎謙介氏(40)が7月に『国会議員を経験して学んだ実生活に即活かせる政治利用の件。』(徳間書店)という書籍を上梓した。実は宮崎氏、現在はコンサルタント業務で生計を立てており、妻である金子恵美・元衆院議員の収入を上回るほどだという。そこで自身の仕事、議員時代、家庭について語ってもらった。

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 妻はコメンテーターとしてテレビが4本、ラジオが1本、レギュラーを持たせてもらっています。ただ、あまりここで言うような話ではないのですが……「家計」という意味では、実は僕の方が月収は多くて、正直に言うと、妻の倍以上はいただいています。今日、この取材を受ける前にもコンサル契約の会社が1社決まって、今では22社と取り引きをさせてもらっています。

 そうしたお仕事をさせてもらうようになったのは、2016年2月に議員辞職をしてからでした。辞職後すぐに知人の会計士から「中古車業を営む会社の社長が謝罪会見を見て、宮崎くんに会いたがっている」という連絡をいただいたのです。あの会見を見て何を思ったのかはわかりませんが、さすがに辞職直後で意気消沈していたこともあり、すぐには会うことはありませんでした。その後も熱心にお誘いをいただいて、2か月後、その社長にお会いすると、「何か一緒に仕事やろうよ」と。それで、その会社から委託を受ける形で中古車マーケットのリサーチなどを行うようになりました。その辺は、議員時代の経験とスキルと人脈を活かして国交省から資料をもらったり、知り合いの官僚から話を聞いたりして、資料を作り、社長に渡していたりしました。

 そのうちに、社長から新規事業としてファンドを立ち上げたのに、資金がうまく集まらない、という相談を受けました。聞くと、金融庁が許認可する第二種金融商品取引業の免許がまだ取れていなかった。そこで僕が議員時代の伝手をたどって、担当の関東財務局につなぎ、社長と面談してもらうことにしたのです。僕は「マッチング」までが仕事で、基本的に面談には同席しません。変な力学が発生しないように。そこで話が進み、免許を取得することができた。そうした活動が口コミで広がり、1年後には数社と契約するようになっていました。そこで17年の春にはコンサルの会社を作り、代表に就任。過去の経験から人の人生を背負う勇気が持てなかったので、社員は雇っていません。ちなみに今は会社を3社持っています。このコンサル会社と妻の芸能関係の仕事を受ける会社、もう一つは企業以外、神社仏閣への経営支援をする会社です。こちらも社員は雇っていません。

 コンサル契約を結んでいる会社のジャンルは多種多様です。医療や物流、葬儀など……。最近の例を挙げると、葬儀会社からご遺族向けの手続きをオンライン化したい、という相談がありました。例えば、「死亡診断書」です。ご家族が亡くなった際に必要な死亡診断書はいま紙でしか発行されません。すると、亡くなった方の口座や証券、保険などについて相続手続きの分だけ、死亡診断書を何枚、何十枚も用意しないといけない。たまたま、死亡診断書のデジタル化の検討が進んでいるという話を耳にして、社長とデジタル庁の前身である内閣官房の担当部局とをつなぎました。今も継続して話は進んでいます。

 意外と企業の方って、行政や議員とどうつながったらいいのか、わからない人が多いんですね。そういう企業と行政の橋渡しになれればと思っています。議員のセカンドキャリアとしてこういうコンサル業務をやっている人は少ないんじゃないでしょうか。特定の企業や団体の顧問をやる人は多いですが、僕のように月々いくらで、1社1社と契約を結んで、というのはあまり聞きません。手間はかかりますが、なるべく多くの企業の役に立ちたいと思うので、今のこの仕事のスタイルにはやり甲斐を感じています。

 今の仕事には議員時代にお世話になった自民党の大御所議員の方々の教えが非常に参考になっています。

 例えば、派閥に所属してお世話になった自民党の二階(俊博)幹事長は、心配りを忘れません。夜の会合になると、僕ら議員や番記者も含め、よく手土産を持たせてくれました。地元の梅干しや、じゃこ、桃などですね。議員時代、地元の支援者と陳情に行くと、二階さんはとにかく仕事が速いんです。その場で省庁の局長クラスに電話をかけて「よろしく」と。そこで電話を替わってもらい、とんとん拍子で話が進むのです。ご自身の人脈を存分に発揮され惜しみなく使われる方でした。

 京都選出の議員だった僕の面倒を見ていただいた伊吹(文明)先生には今でもたまに会いにいきます。伊吹さんは毎朝、オレンジを絞って自家製のオレンジジュースを飲んでいるそうで、フルーツが大好き。僕は伊吹さんの誕生日になるとフルーツ盛り合わせを差し上げています。散歩もご趣味で毎日2万歩歩く。衆議院の議長を務めていた頃は、本会議の前に僕ら二階派の若手議員を本会議場の横にある議長室に呼んで、今の政界の動きの解説をしてくださいました。厳しく、筋を大事にされる方でした。

 菅(義偉)総理には官房長官時代に、よく陳情をさせてもらいました。前日までにアポをとると多忙の中でも時間を割いてくださり、5分でも10分でも会ってくださる方でした。そういえば、総理になられた直後にもお会いする機会がありましたね。官邸の隣にあるホテル・キャピトル東急でデーブ・スペクターさん、宮根誠司さんと3人でランチをした後のことでした。ホテル内のラウンジ前を通ると、入り口に多くのSPが立っていた。見ると、そこに内閣参与も入っていくし、デーブさんが「菅総理がいるに違いないから挨拶しに行こうよ」と言うので、秘書官らしき方に「宮崎ですけどご挨拶を…」とお願いすると、奥の個室で参与と打ち合わせをしていた総理に会わせていただきました。宮根さんは「番組で厳しいこと言っているから、会ってくれるかなあ」なんて言っていたけど、無事に3人で挨拶することができました。

 この二階さん、伊吹さん、菅さんの3人のように年下の議員や困っている人に対して少しでも時間を作ってあげること、それが人望を集めるコツだと思い、いまも肝に銘じています。

 仕事は主に午前中がメインですね。いま息子は幼稚園に通っていて、家事は妻と分担しています。料理は僕で息子の弁当も作ります。洗濯は妻、掃除は半々。朝は6時半ころに起きて、朝食と弁当の用意。幼稚園に送ってから、メールの確認、打ち合わせなどの仕事をこなして、14時には幼稚園に迎えに行きます。それまでが仕事の時間で、あくまでも子育てが生活の中心です。時間とのバランスもあるので今はテレビ出演もTBSの「サンデー・ジャポン」など旧知のプロデューサーさんからお願いされる以外の新規のテレビ出演は控えています。

 もともとは早稲田大学卒業後に学生向けの就職支援の会社を起業して、結構いい年商をあげていたんです。でも、学生向けのセミナーを開催していたら、内定を20社くらいとった学生が「日本は未来ないんで、シンガポールに移住します」と言っていた。「これはやべえな」と思っていた頃に、自民党職員になっていた大学のゼミの後輩から「政治家になる公募がありますよ」と教えてもらい、議員になろうと思った。ああいう形で辞めることになりましたけど、今は民間企業を助ける形で政治家としてやりたかったことをできればいいと考えています。

 海外では企業の担当者を議員に会わせるだけで数十万円も手数料を請求する外資系ロビイングコンサル会社もあると聞きます。僕はそういう方向というよりは、ニッチな商売で頑張っている人と行政がつながって、国や地方がよくなり、その会社がさらに伸びてくれればといいと思っています。例えば、地域を活性化させてくれるような企業を誘致したい自治体と、自分たちのビジネスを地域に根差して大きくしていきたいと考えている民間企業を結び付けるサービスなど、そういう仕組みを今後は作れたらいいですね。

デイリー新潮取材班

2021年8月13日掲載

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