レスリング金「向田真優」は個が確立した女性アスリート 親との別離から志土地コーチとの結婚まで

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 日の丸を背に掲げてウイニングランした向田真優(24)は、婚約者の胸に飛び込み抱き合って泣いた。衆人環視の場でこんなことをしたのは初めてだっただろう。涙顔の婚約者は直前までマットサイドで「大丈夫だ」「そこだ、いけ」などと檄を飛ばしていた10歳上の志土地翔大コーチ(34)だ。至学館大学(愛知県大府市)のコーチとして指導に来ていたが、キャプテンだった向田と恋に落ちた。「五輪を前に恋愛している場合か」などの批判もあり、志土地氏は悩んだ末、向田がカザフスタンの世界選手権で優勝を逸した2019年9月に大学に辞表を出した。「他の選手が可哀そう」などの声も聞かされたという。向田は愛を貫き、翌春、大学を卒業すると上京。東京五輪後の入籍を約束した志土地氏と暮らしながら母校だった安部学院高校やナショナルトレーニングセンター(NTC)で練習を重ねた。

 レスリング女子53キロ級(ロンドン五輪までは55キロ級)は、女子レスリングがアテネ五輪で採用されて以来、吉田沙保里が3連覇。リオ五輪では2位になっていた階級だ。

 吉田の後継者として向田は「金メダルを取り返す使命」を負っていた。

 8月5日、まだ川井梨紗子、友香子姉妹の金メダルの余韻が残る幕張メッセ(千葉市)で向田は圧倒的な強さを見せて決勝に勝ち上がった。しかし、向田には「勝ちきれない」という一面もあった。リードしていると守りに入ってしまうのか、逆転されてしまうこともたびたびだった。2017年の世界選手権の決勝は、残り十秒から逆転負けしている。昨年のアジア選手権も大量リードから一瞬の隙にフォール負けした。リモート取材では「勝っていると後半、体が止まってしまうんです」などと話していた。

過去の失敗を教訓に勝っていても攻め続ける

 だが、今回は全く違った。8月6日夜、決勝の相手は中国の龐倩玉。1p(ピリオド)に二度バックを取られ4-0とリードされた。2pまでの30秒のインターバルで志土地コーチは「ここで行かないと絶対後悔するよ」と伝えた。これに応え、持ち前の鋭いタックルからあっという間に4-4の同点にした。レスリング競技には延長戦がなく、同点の場合、細かい加点より一回で2点以上取る「ビッグポイント」が勝ちになるが、それもなければ後で点が入った方の勝利になる。

 向田にとってそのまま守りに入る選択肢もあった。だが今回、そうはしなかった。「二度と同じ失敗はしたくない」と、リスクがあっても最後まで攻めたのだ。「勇気を出せ、行け」の志土地コーチの檄。残り40秒、相手の足にタックルで組み付いたが背後に回られる。相手の足が抜けてしまえばバックを取られて2点取られてしまう。大ピンチだったが向田は組んだ両手を死んでも離さず、鬼のような形相で立ち上がって相手を場外に押し出し、逆に1点加点したのだ。そしてブザー。

 志土地コーチに向かってガッツポーズすると涙は止まらなかった。コロナ禍で練習ができず、志土地コーチと都内の川っぱらで走ったりスパーリングしたりして鍛錬を重ねた。志土地氏は食事も作ってくれた。

 向田は世界選手権でも二度優勝する実力者だったが、練習以外でも苦難は多かった。

 2017年の冬、大学の監督で当時、日本レスリング協会の強化本部長でもあった栄和人監督が、以前に伊調馨選手に「パワハラをしていた」という大騒動に巻き込まれた。大学の学長は日本レスリング協会の副会長でもある谷岡郁子氏。大学はレスリング部に悪評が立って受験者が激減することなどを心配し、部員たちも押し寄せるメディアなどで練習に身が入らなくなることもあった。キャプテンとして向田は、大学側、保護者らの意向を理解しながら、選手らの気持ちを一つにさせるのは大変なことだった。ことし7月にそのことを筆者が問うと「今から考えればいい勉強になりました。主将も誰でもなれるわけではないし」などと話していた。

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