最後は上野由岐子の再登板で良かったのか 金メダルでも心配な今後のソフトボール人気

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不死鳥伝説の第2章

 女子ソフトボール日本代表は2008年北京五輪以来の連覇を果たし、金メダルに輝いた。翌朝のスポーツ新聞の1面にはレジェンド上野由岐子投手の快投を讃える見出しが躍った。決勝のアメリカ戦、先発して5回まで無得点に抑えただけでなく、6回は後藤希友(みゆ)にマウンドを譲ったものの、最終回(7回)には再び登板。アメリカ打線を三者凡退に抑えて“胴上げ投手”になった。

 39歳になったレジェンド上野が、「北京の413球」から13年後に打ち立てた「不死鳥伝説の第2章」。多くの人々が胸を打たれた。

「リリーフで投げてくれた後藤がもう顔面蒼白で、いっぱいいっぱいで投げてくれていたのを見て、逆に自分がやってやるんだという気持ちに奮い立たせてもらった」

 試合後に上野は言った。そして宇津木麗華監督も、

「一番経験があり、ずっと日本を引っ張ってきた上野しかいない」

 と、7回は再び上野投入を決断する。

 後藤は6回、上野が先頭打者にヒットを許した無死1塁の場面でリリーフを託された。最初の打者を三振に取って1死。続く2番リードには詰まらせながらも二遊間を抜かれ、1死1、2塁となった。そして3番チデスターは3塁ライナー。サード山本は弾いたがバックアップしたショートの渥美が直接キャッチ。すぐ2塁送球、一瞬にしてダブルプレーが成立した。日本ベンチ、応援するファンの誰もが肝を冷やした鋭いライナーだったのは間違いない。だが、後藤は上野が招いたピンチを、味方の超美技に助けられ、見事に切り抜けた。まさに「持っている」「今大会のラッキーガールだ」と感じさせる瞬間でもあった。

 ところが、石橋を叩いてでも金メダルに執着する日本ベンチは、後藤の強運と勢いに乗ろうとはしなかった。

 相手は強豪アメリカ。最後まで何が起こるか予断を許さない。後藤が7回、走者を出してからでは遅いと判断したのか。それとも「最後は上野で」と決めていたのか? 宇津木監督は後藤を降ろし、再び上野をマウンドに送った。

 私はこの大会、宇津木麗華監督の読みと采配に敬服していた。大会前にデイリー新潮で発信したとおり、「投手3人、捕手3人」の陣容は通常からすれば異例の構成だった。しかも、宇津木監督は後藤投手に「ワンポイントだから」と伝えている。私はそれを額面どおり受け取れなかった。上野と2本柱と目される藤田倭は、むしろ打撃で期待される選手。投手としても十分な実力者だが、世界のトップクラスを相手にしたら失点も覚悟が必要だ。それを思えが、後藤をワンポイントで3人目に選んだとはどうしても思えない。後藤に負担を与えない形で大会に臨み、展開次第で後藤に自信を与える宇津木監督の思いではないかと推察した。開幕するとその期待どおり、後藤は国際舞台で見事なデビューを飾り、上野の後継者誕生を日本中に印象づけた。世界の強豪国をも震撼させたに違いない。

 大会中に、ポスト上野を育成できた。最高の展開で日本は決勝に駒を進めた。上野、後藤の二枚看板を持つ日本。先発・上野なら、終盤にボールに勢いのある後藤が控えている。

 ところが、最後の最後で、後藤は梯子を外された格好になった。7回、投げずにホッとしているのか、無念が身体に残り続けているか。

新星の登場を待望する思いこそ

 改めて、宇津木監督の言葉を思い出す。「あなたはワンポイントだから」と言った意味はこれだったのか?

 金メダルを獲得したのだから、誰も文句は言わない。上野伝説第2章に酔いしれている。
 だが、日本の女子ソフトボール界は、この後、切実な試練が待ち受けている。すでにオリンピックからの除外が決まっている。2008年の北京五輪以降、オリンピックから外れた期間、いかに厳しい状況に置かれたか。日本のメディアは、五輪種目かどうかを報道の明確な基準にしている。北京五輪で感動をもたらした後、世界選手権で同様に上野が熱投し優勝したとき、その記事は新聞の片隅で報じられたにすぎなかった。そうやって、ソフトボールへの注目は激減し、自ずと新たに競技を始めようとする少女たちの減少につながった。

 今大会では、新種目のスケートボードやサーフィンが脚光を浴びた。オリンピックはやはり高い注目を生み、競技の人気を加速させる。逆に、オリンピック種目の地位を失えば様々なハンディキャップを負うことになる。

 そのために必要だったのは、「どうしても金メダル」だったのか、「将来への希望」だったのか。この先も上野の活躍を見続けたいファンはもちろんいるだろう。だがそれ以上に、若い後藤の成長、後藤に続くさらなる新星の登場を待望する思いこそが、オリンピックなきソフトボールの未来を拓くエネルギーではなかったか。

 女子ソフトボールは、女子中学生や高校生のスポーツの選択肢が少ない中で普及してきた。団体競技でいえば、バレーボール、バスケットボール、ハンドボールとソフトボールが主なものだった。ところが、女子サッカーが人気を高め、大学年代ではラクロスも人気種目のひとつになった。個人種目ではテニス、ゴルフがいっそう脚光を浴び、五輪種目では卓球、バドミントンも勢いを増している。スポーツクライミングも親子で取り組めるスポーツとして人気を高めている。この2~30年、女子がチャレンジするスポーツの選択肢も格段に増えた。しかも、女子野球が盛んになって、「野球ができないから仕方なくソフトボールを選んだ」という選手も少なくなっている。今夏は甲子園で女子高校野球の決勝戦が実現する。

 そんな中で、オリンピック種目から外れるソフトボールの未来は厳しい。勝ちにこだわり、ベテランを厚遇する古くさいスポーツという印象も無意識のうちに若い親子を遠ざける遠因にならないだろうか。片や13歳で金メダルを獲るスポーツがある。十代の選手たちがのびのびと自分を表現する一方で、20代の選手がまだベテランの下で委縮する構図は排他的に見えても仕方がない。今後の普及に翳りを与えなかったのか、不安は否めない。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

デイリー新潮取材班編集

2021年8月4日掲載

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