スケボー金の「堀米雄斗」 6歳から始めた“英才教育”をスケーターの父親が語る

スポーツ

  • ブックマーク

Advertisement

骨折した翌日に練習

 亮太さんが指導したのは練習だけではない。有名スケートボーダーの映像を繰り返し見せたという。

「雄斗は、一流選手の映像をほとんど見ていますよ。夢中になって、食事中も見るので注意したほどでした。練習も365日、少しも嫌がらずに続けました。スケートボードは危険なスポーツで、よく転倒して怪我もします。1年に腕を4回骨折したこともありますが、ギプスをして翌日から練習するんです。僕は骨折した時、2週間はボードを見るのも嫌でしたけど、彼のスケートボードへの入れ込み方は異常なくらいでしたね」

 運転手の仕事をしていた亮太さんは、同僚の車を洗うアルバイトをして、息子の遠征費などを稼いだという。

 雄斗選手は、小5の時、韓国で行われたバーチカルの国際大会にジュニアの部門で出場して5位、小6では同じ大会で3位だった。中学になってから、街中にあるような手すりや階段でトリックを競い合うストリートに転向した。最も権威ある国際大会に出場するためだ。
 
 10歳の頃から雄斗選手のスポンサーになっていた、スケートボードショップ「インスタント」のオーナー、本間章郎氏はこう言う。

「彼は才能の塊、天才ですよ。幼い頃からバーチカルをやっていたので、ダイナミックな技を難なくこなすことができる。すでに中学2年の時には全日本のチャンピオンになっていました。ただ、その時点でスポンサーを降りました。彼はアメリカの試合にも出るようになったので、もっと大きなスポンサーがつくべきだと思ったのです」

 その後2016年に高校を卒業すると単身で渡米し、2017年5月、最高峰プロツアー「ストリート・リーグ(SLS)」のプロに。18年、SLSで日本人初の優勝を遂げ、その年は同大会で3勝を挙げた。

 亮太さんがこう語る。

「今や雄斗は、アメリカで年に1億円以上は稼いでいますよ。昨年は、ロサンゼルスで豪邸を購入していますからね。今後も活躍して欲しいですね」

 次の目標は?

「金メダルを獲りましたが、これで世界ランク1位のナイジャ・ヒューストンを超えたとはまったく思っていません。ヒューストンは、ストリート・リーグを22回も制した世界最高峰の選手。今回はたまたま運が良かっただけです。彼に追いつくには、まだまだ、鍛錬しないとね」

デイリー新潮取材班

2021年8月1日掲載

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。