米子松蔭、「不戦敗」からの一転出場問題 昨夏の甲子園中止を振り返る

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「何とか出場する道を模索していただけませんか?」

 7月23日、第103回全国高校野球選手権で米子松蔭高校(鳥取県)野球部は準々決勝敗退となった。一時は学校関係者の1名がコロナ感染したという理由で、「不戦敗」とされていたが、世論の後押しを受けて地方予選に臨めることになった。一時期は絶望していた球児たちにとっては喜ばしいことだったが、ここに至るまでの経緯には問題もありそうだ。

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 そもそも米子松蔭が「辞退」したと鳥取県高野連が発表したのは、7月17日のこと。前夜に学校関係者の感染が判明し、翌朝には学校は「辞退」を伝えている。県高野連の求める基準での陰性証明ができなかったからだ。

 この発表の時点では、実はマスコミはその決定にさほどの違和感を持っていなかったように見える。「辞退」「不戦敗」を伝える18日の記事は、いずれもベタ記事扱いで、特に「おかしいのでは」といった視点は無い。淡々と県高野連の発表を伝えているのみだった。

 事態が動き出したのは、18日昼、同校野球部主将がツイッターで「何とか出場する道を模索していただけませんか?」と訴えて以降だ。

「感染防止はわかるが、いくらなんでも学校関係者に感染者が出ただけで、出場できないのはおかしいだろう。過剰反応にもほどがある」

 この当たり前の意見が全国的に広がり、首長や著名人も声を上げ、結果として県高野連が日本高野連などと協議した結果、出場が許可されることになったのである。

 もしも主将の「直訴」がなければ、こんなに早く事態は動かなかった可能性もある。高野連が対応を見直したかはいささか怪しい。

 甲子園だけがすべてではない。とはいえ、そこを目指してきた球児たちの可能性を不合理なルールで奪っていいはずがない。そもそも、高野連は昨年、早々に甲子園の中止を決め、全国の球児たちに絶望を味わわせている。

「気持ちの整理が先生もつかん。大人になってもダメやね」

 作家・早見和真氏が昨年夏、コロナ禍に直面した球児、監督に取材して執筆したノンフィクション『あの夏の正解』にはこんなシーンが描かれている。

 早見氏が立ち会ったのは、昨年5月20日。愛媛県の名門、済美高校野球部で中矢太監督が部員たちに中止の決定を伝える場面だ(以下、引用)。

〈時刻は十六時半を回っていた。中矢はこくりと一度うなずくと、スマホをユニフォームのポケットにしまい、練習中の選手たちを一塁側のベンチ前に呼び寄せた。

 マスク姿の選手たちが全速力で外野から駆けてきて、前後三列で中矢を囲む。それが普段通りの陣形なのだろう。一気に熱を帯びたベンチ前で、中矢は「少し距離をとるように」と指示を出した。むろん“密”を避けるためだ。

 山から風が吹き下ろし、いつの間にか空には厚いうね雲が広がっている。春らしいうららかな陽射しは皮肉に感じるほどだった。テレビカメラにガンマイク、そして十名を超える地元メディアの記者たちが静かにその瞬間を狙っている。

 僕は少し離れた場所から中矢の第一声を待った。わずか三日前に「まだ選手たちにかける言葉が見つからない」と口にしていた指導者のメッセージだ。どんな第一声を切り出すのか、息を詰めて見守った。

 中矢はしばらく口をつぐんだまま、一列目の選手たちの顔を順に見渡していった。練習用ユニフォームの汚れ具合から、彼らが三年生なのだろうと推測する。何かを振りほどくように「ええー」と声を張ったあと、中矢は訥々(とつとつ)と語り出した。

「残念な報告をせんといかんことになりました。みんなもニュース等でうすうすというか、まぁ中止になるんじゃないかと、センバツが中止になって、またインターハイが中止になり、高校野球の甲子園だけはなんとか、こう、あってほしいなと、そういう思いもあったんだけれども、先ほど夏の大会が中止になったと。残念というか、無念というか。なかなか言葉にならない──」

 ほとんど動かない選手たちの背中からその心の内は読み取れない。ただ、少なくともわかりやすく泣き崩れる者はいなかった。

「先日もみんなにちょっと話したことなんだけど、人生の中で自分ではどうしようもできないことはある。それをいますぐ受け入れろと言うわけにはいかないかもしれないけれど、でも受け止めんといかん。特に三年生はいろんな思いを持って、この済美高校に来てくれたと思うしね。(中略)気持ちの整理が先生もつかん。大人になってもダメやね。でも、さっきも言うたように、受け止めるしかない。このあとのやっぱり、行動がね、言動とか、また早く目標を見つけて、また努力をしていこうということになるだろうと……」

 一通り話し終えると、中矢は一、二年生には練習を続けるよう、三年生には選手だけで室内練習場でミーティングをするよう指示を出した。その後、三年生の練習は各自の判断とし、帰りたい者は帰っていいとつけ足した。

 一部の記者から「室内練習場の様子を撮影していいか」という声が上がったが、中矢は毅然と「それは勘弁してやってください」と首を振り、自らがカメラの前に立った。〉

 こうした光景が昨夏は全国で繰り広げられていたのである。同書に出てくる野球部員たちは、この経験も糧にして前向きな言葉を発している。長い人生を考えれば、この経験も財産になるのかもしれない。

 しかし、だからといって「感染防止対策」や「内規」ばかりを優先させることが「正解」なのだろうか。

2021年7月29日掲載

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