五輪開幕式で際立つ天皇陛下の存在感 「バッハ」「菅」「橋本」に国民は嫌気がさして

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天皇の“帝王学”

 国家元首は選挙で選ばれるケースが多い。アメリカ大統領は言うに及ばず、日本の総理大臣も選挙で選ばれた国会議員から選出される。政治家によって個性があり、その個性を有権者が評価する。

 むろん、天皇陛下は選挙とは無縁の存在だ。「国民統合の象徴」として存続していくことが求められる。伝統的な皇室のイメージと異なるような個性を出してしまうと、尊厳が失われてしまう危険性さえある。

「とはいえ、あまりに没個性でも問題です。国民は天皇陛下に威厳や品格のような特殊性も期待しているからです。天皇陛下は、国会の開会式、全国植樹祭、国民体育大会といった場でお言葉を述べられます。伝統を守り抑制的でありながら、国民にしっかりメッセージを伝える必要があるわけです。矛盾していることは言うまでもなく、やはりご苦労があるのではないでしょうか」(前出の記者)

 そこで焦点になるのが“帝王学”だという。

「特に重要な舞台になるのは、天皇陛下と皇太子さまが一緒に食事をされる時です。代々の天皇陛下は常に、『天皇とは一体、何なのか』を考え続けていると言っても過言ではありません。天皇家が国民と共に歩むためにはどうすればいいのか、折に触れて、天皇陛下は皇太子に伝えられるのです」(前出の神田氏)

推敲に推敲

 まさに“伝統の力”というわけだろう。そして今回の場合は、コロナ禍もあった。天皇陛下は宣言について、まさに熟慮に熟慮を重ねてきた。

「東京五輪が決まったのは2013年。上皇さまの退位前でしたが、この瞬間から天皇家は準備をお始めになったと思います。コロナ禍が起きてからは特に、いつにも増して天皇陛下はありとあらゆる情報をお集めになりました。そして宣言の文面をどうすべきか、どういうトーンで読み上げるべきか、表情や口調に至るまで、練りに練り上げられたのではないかと思っています」(同・神田氏)

 推敲に推敲を重ねれば、表現は研ぎすまされてくる。冗長な部分がなくなり、人の心に飛び込んでくるようになる。

「橋本会長やバッハ会長のスピーチに、推敲の要素を感じることは難しかったですね。『あの3分の1の長さでいい』と思った視聴者も多かったのではないでしょうか。天皇陛下が読まれた宣言は、その大多数が決まっているものでした。しかし、陛下が時間をかけて、熟慮に熟慮を重ねたからこそ、多くの人が感動したのだと思います」(同・神田氏)

デイリー新潮取材班

2021年7月25日掲載

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