放送作家・中野俊成さんの脳裏に焼き付いて離れない曲とは? 正体を突き止めるも複雑な感情に

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「ちょっと変な臭いがするぞ臭いがするぞ」

「アメトーーク!」「ポツンと一軒家」など、数々の人気番組で企画構成を担当する放送作家の中野俊成さん。ヒットメーカーの彼の脳裏に、ある日浮かんだ奇妙な音楽とは……?

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 どこで聴いた歌なのかわからなかった。息子の幼稚園の説明会。見知らぬ親御さんたちが集まる講堂で、不意にこのフレーズが脳裏に甦った。

「ちょっと変な臭いがするぞ臭いがするぞ」

 曲調からすると童謡のようだ。曲名が分かれば調べようもあるが思い出せない。ちょっと変な臭いがするもの。耳くそだろうか。耳くそは、くそのわりにはさほど臭わないが、嗅いでみるとちょっと変な臭いがする。ネットで歌詞検索をしてみた。出てきたのは「蓄膿症の主な症状」とか「排水口の嫌な臭いの原因」など病気の症状と生活情報ばかり。こうなると無性に歌の正体が知りたくなる。ぐっと記憶をたぐり寄せると、おぼろげに歌を聞いた時の光景が甦った。そこは知人の劇団の稽古場だった。上京して間もない頃、演劇に興味を持った自分は見学に行った。見知らぬ人たちを前に居場所がなく、東京の、それも劇団特有の雰囲気に飲まれていた。稽古前の談笑する団員たちの様子を遠巻きに見ていると唐突に一人の女性が歌い出した。

「ちょっと変な臭いがするぞ臭いがするぞ」

 食い気味に歌うのが難しいんだよね、と彼女は言い、他の劇団員たちが同調して笑った。集団の笑いは内輪化して時に排他的になる。笑えなかった自分は一層孤立して取り残された気分になった。感情が伴う出来事は記憶される。嫌な目に遭った時は特に。あれは何という歌だったのだろう。気になって仕方がないので、当時の劇団員の一人にLINEしてみた。「おかしなことを聞くようだけど、ちょっと変な臭いがするぞ臭いがするぞ〜って歌、知ってる?」。数年ぶりの連絡がこんな質問で申し訳ない。程なくして返信があった。「いや、その歌は知りません」。そっけなかった。あまりにも不躾で雑な質問だったことを反省し、この歌を耳にした状況を詳述して送ったが、今度は返信が途絶えてしまった。「夢かもしれないんだけど」と前置きしたのがまずかったのかもしれない。いきなり意味不明な歌詞が送られてきたかと思えば、夢かもしれないと書かれている。気が狂ったと思われても仕方がない。しかし明くる日、予期せぬ返信が届いた。「これですかね」という一言と共に童謡の歌詞のリンクが貼られていたのだ。持つべきものは検索上手な友人だ。歌詞を見て調べても出てこなかった理由が分かった。フレーズが間違っていたのだ。正しくはこうだった。

「すこうしへんなにおいがするぞ」

「ちょっと」ではなく「すこうし」だった。曲名は「いちまんえんさつ」。確かに1万円札は少し変な臭いがするし、耳くそよりは歌の題材に相応しい。曲名さえ分かればこっちのもの。すぐに動画検索してみると一曲の混声合唱曲が出てきた。震える気持ちを抑えて再生する。

 まさしくあの時の歌だった。

 歌の正体が判明した嬉しさで気分は高揚した。しかし、同時にあの孤立した気分も甦り、脳がうまく処理できずにいる。つくづく音楽は心情の記憶装置だと思う。軽く目眩がする感覚の中、鼻の奥のほうで、ちょっと変な臭いがした。

中野俊成(なかの・としなり)
1965年生まれ。放送作家。「アメトーーク!」「プレバト!!」「ポツンと一軒家」などの企画構成を担当。著書に『ジャケ買いしてしまった!!』など。

2021年7月18日掲載

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