「松坂大輔」が引退 アスリートであり続けられなかった野球人生 イチローも過去に苦言「なめてやっているだろ」

スポーツ 野球 2021年7月9日掲載

  • ブックマーク

 7月7日、西武ライオンズの松坂大輔が今シーズン限りで引退することが発表された。昨年、古巣である西武に復帰したものの度重なる故障で実戦復帰の目途は立たず、今年で41歳という年齢を考えても当然の決断と言えるが、それでも引退を惜しむ声は多い。日米通算170勝という記録だけ見ると、そこまで突出しているわけではないが、その数字以上に松坂が球界に残したものは大きかったと言えるだろう。松坂の出現によって球界の常識が変わったというものも少なくない。改めて“平成の怪物”が残したものを振り返ってみたい。

いかに球速が突出していたか

 まず、松坂の登場で大きく変わったのが高校生投手のレベルだ。松坂は春の甲子園で150キロ、夏の甲子園で151キロというスピードをマークしているが、当時の高校野球では考えられないような数字である。

 松坂の1学年上で高校ナンバーワンと言われ、1997年のドラフト会議で4球団が競合した川口智哉(平安→オリックス)の3年夏のスピードは最速142キロであり、いかに松坂の球速が突出していたかがよく分かる。

 同学年の新垣渚(沖縄水産→ダイエー、ソフトバンクなど)、3学年下の寺原隼人(日南学園→ダイエー、ソフトバンクなど)が続き、今では150キロ以上をマークする高校生投手は、現在では珍しくなくなっている。松坂というスーパースターの登場によって当時の高校生、さらには下の年代のスピードに関する考え方が大きく変わったことは間違いないだろう。

 当然、松坂が突出していたのはスピードだけではない。プロ入り後も1年目から16勝をマークして最多勝に輝き、変化球や投球術に関しても高いレベルを備えていた。1960年代までは尾崎行雄(東映)、池永正明(西鉄)、堀内恒夫(巨人)、江夏豊(阪神)など、高卒1年目のルーキーがいきなり二桁勝利をマークすることもあったが、1967年の江夏を最後にそのような投手は途絶えていた。

高卒でも1年目から起用するという流れ

 プロのレベルが格段に向上したため、高校から入団した選手はまず二軍で体力をつけてからという時代が続いたのである。その流れは現在でも変わらないが、松坂の活躍によって、一部の突出した選手は高卒でも1年目から起用した方が良いという流れができた。

 実際、松坂以降の大物高卒ルーキーでは、寺原隼人(ダイエー・2002年・6勝)、高井雄平(ヤクルト・2003年・5勝)、ダルビッシュ有(日本ハム・2005年・5勝)、田中将大(楽天・2007年・11勝)、唐川侑己(ロッテ・2008年・5勝)、藤浪晋太郎(阪神・2013年・10勝)、松井裕樹(楽天・2014年・4勝)といきなり一軍で活躍するケースが増えているのだ。

 ここ数年はさらにプロがレベルアップしているため、1年目から勝ち星をあげる投手は多くないとはいえ、今年は2年目の宮城大弥(オリックス)が大活躍を見せている。高卒でも力があれば、どんどん一軍で起用するという流れも松坂が作ったものと言えるだろう。

次ページ:「~世代」という呼び方

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]