レスリングの新星「清水賢亮」の叔父は清水宏保 偉大なスケーターから学ぶべきことは

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「神経質だった」叔父から徹底的に学べ

 ちょっと叔父の話をしよう。清水宏保氏は長野五輪の前、スケート刃の前方が蝶番(ちょうつがい)のようになって刃が上下に可動する「スラップスケート」という新兵器を導入した。踵を上げても刃が氷上に残り、氷との接地時間が長くなってスピードが殺されない。しかし、パタパタと刃が動く靴を履き慣れるのには時間もかかる。これをいち早く取り入れた清水選手は猛練習して本番でも見事に使いこなして栄冠を勝ち得た。他方、国内ライバルだった堀井学選手は、旧来のスケート靴にこだわり、土壇場でスラップスケートに切り替えたが間に合わなかった。新しい物の良さを見極める能力も清水宏保選手は優れていたのだ。

 清水氏が現役時代、通信社の運動部に属していた筆者は、冬季スポーツではアイスホッケー担当だったので彼を取材したことはない。しかし当時、あるスポーツ紙のスピードスケート担当記者が「喫茶店で清水を取材しようとしたら、『ここはタバコの匂いがする』、とかで何軒も何軒も探す。神経質で疲れ果てたよ。どんなことにも徹底的に神経を使う男だわ」と話していたのを思い出す。まだ清水宏保選手が十代の頃だ。

 世界を目指す選手なら、若くてもそのくらいの神経の使い方が必要なのだ。それなのにエントリーミスで手中にしていた出場をフイにするとは情けなすぎる。拓殖大学では今春のアジア選手権男子55キロ級で優勝した塩谷優も、エントリーミスで晴れ舞台の明治杯に出られなかった。詳しい経緯は知らないが「喝―っ」と叫びたい(拓大関係者には申し訳ないが、その昔、大学柔道部で4年生になっても出たかった全国七大学総合体育大会(=団体戦)に選ばれず、留年までして出場を果たした筆者にとって、こういう事案が一番、腹が立ってしまう)。

 基本的に大事な試合のエントリーは選手が自分でやるべきものだ。大学側がやってくれたはずなどという子供じみた考えは間違いだ。最近はインターネット申し込みになっていたというエントリーなら尚更のこと、賢亮選手は徹底的に自分で確認すべきだった。

 普段はレジェンドのことを気軽に「ヒロ君」と呼んでいるという清水賢亮、偉大な叔父から見習うべきことは肉体面だけではない。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

デイリー新潮取材班編集

2021年6月14日掲載

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