バルセロナ五輪で前代未聞の失格… レスリング元代表「原喜彦さん」が振り返る“あの日”

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 昨年はコロナ禍で中止されたレスリング伝統の明治杯(全日本選抜選手権)が5月末、駒沢体育館(東京)で行われた。東京オリンピックの代表内定者は出場しなかったが、女子53キロ級の藤波朱理(いなべ総合学園高校)、同76キロ級の松雪泰葉(至学館大学)、男子フリー97キロ級の石黒峻士(新日本プロレス職)などが今秋の世界選手権の初切符をつかむなど「パリ五輪以後」を見据える若手が奮戦した。

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伊調vs川井の「世紀の決戦」を裁いた男

 この大会、主審の一角を担ったのがA級審判の原喜彦氏(57)。大会後「二つ失敗してしまった」と語った。裁いた男子グレコローマン82キロ級決勝の向井識起vs川村洋史(ともに自衛隊)では川村側のチャレンジ(判定への不服申し立て。審判団がビデオを見て判断し直す。通らなければ相手に得点される)が通った。「コロナ対策の飛沫防止用のフェイスガードは光って見づらく眼鏡をはずしましたが時計が見えない。さらに横方向が歪んだりする。でもそれは言い訳にはなりません」。

 原氏は重要な試合を裁いてきた。注目されたのが2019年7月に和光市で行われた「世紀のプレーオフ」女子57キロ級の川井梨紗子vs伊調馨である。5度目の五輪を狙ったレジェンド伊調にタックルされたリオデジャネイロ五輪63キロ級女王の川井が体を反転させ、伊調のバックを取るなど大熱戦。結局、スコアは同点となり、ビッグポイントを取っていた川井が勝利した。「この一戦の担当はその日に決まったんですよ。審判長から『おい、原、やってくれ』と言われました」と振り返る。事前に審判が決まっていると関係者の不正が起きかねないからである。2020年3月にフリー74キロ級で、乙黒圭祐が奥井真生を破り東京五輪の代表内定を決めたプレーオフもレフェリーを務めた。「やはり男子を裁く方が難しい。スピードも違いますし」と語る。

試合予定の日程変更に気づかず、失格

 原喜彦氏は選手時代、オリンピックで他に類を見ない辛い経験をしている。日本レスリング協会にとっては思い出したくない失態だか覚えている人もいるだろう。

 1992年のバルセロナ五輪。原氏は男子フリー74キロ級の日本代表だった。前回のソウル五輪にも出場し5回戦で敗退した。「今度こそメダルを」と、最後は4人のリーグ戦にもつれた国内の代表争いを制し、二度目の五輪に臨んだ。すでに日本体育大学を卒業し、故郷の新潟県で高校教師をしていた。「学生とかでなく教員だったので協会関係者も気を使ってくれていましたね」 

 初戦のコロンビア選手、二戦目の南アフリカ選手、三戦目のカナダ戦選手を破ったが、4回戦では韓国の朴章洵選手に敗れた。「68キロ級から上がった選手で練習したこともありますが、ずっと力強くなり組んだ瞬間にやばいと思いました」。金メダルはこの朴選手だった。原選手は2ブロックの一方で3位以内となり、最低でも6位入賞は決まった。5戦目はこの日の午後にイラン選手と当たるはずだった。「時間があったし腹も減って、選手村に少し戻って休憩しようとした。平山(紘一郎)監督は会場に残ったけど、伊達コーチ(治一郎 故人)と一緒に発車しかけていた選手村行のバスに飛び乗ったんです」。

 ところがまもなく伊達氏から「試合が明日に延びた。会場に戻っても計量は間に合わないだろう。失格して順位がなくなってしまったかもしれない。悪かった」と伝えられたのだ。「動揺して会場に戻ると高田コーチ(裕司・現協会理事)が『原、悪かった、悪かった』と泣いていた。やはり間に合わなかった。ああいう時って謝られると一番困ってしまう。『いいですよ、僕が一番注意してなくてはいけなかった』なんて言ってました。ただ、オリンピックにまで来て計量に現れず失格したなんて、みっともないという気持ちが強かった。でも記者会見では泣いてしまい、私の失格で繰り上がった5位の選手に慰められました」。

 なぜそんなことになったのか。元々、イラン選手との5回戦はその日の午後に行なう予定だった。ところが急に日程が変更された。当時の規則では、1回戦~決勝が3日かけて行われ、1日の試合が終わって1時間半以内に翌日のための計量が義務付けられていた。ところが原選手やスタッフは試合が午後にもあると思いこみ、翌日用の計量は午後の試合後だと思っていた。「私に勝った朴選手が厚着して必死に会場を走ってたので『あいつ、なんで走ってるんだろう』と思っていた。後で考えれば、早まった計量が控えていたのです。私自身は減量が不要で、その時に計量すれば問題はなかった。結局、74キロ級は私だけが失格したのです」。「選手村に行くバスに乗り遅れていれば会場に戻って計量したでしょう。運命ですね。今みたいに携帯電話を持ってるわけではないし、乗ってしまったら終わりです。選手も指導者も英語やスペイン語の変更説明も分からないし、だれも教えてくれなかった」。

 実はバルセロナ五輪のレスリングではグレコローマンの48キロ級で、プログラムをよく見ず計量に来なかった外国選手が5人も失格し、日本チーム内では「注意しろよ」と周知させていたという。なぜか急な日程変更は74キロ級だけだった。

 当時、レスリング協会の支援役員としてバルセロナ五輪に随行していた樋口郁夫氏(現日本レスリング協会ホームページ編集長)は「観客席にいた私たちには状況が伝わっておらず、午前と午後、両方試合をやって翌日は決勝と順位決定戦(3位決定戦、5・6位決定戦)だけ残すと思い込んでいたんです」と振り返る。樋口氏は原選手と同郷(新潟県)だ。「スタンドで応援する原選手の奥さん(かおりさん)も知っていました。まだメダルの期待もありましたし、会場で出会ったかおりさんにニコニコと挨拶しました。いつもならにこやかにほほ笑んでくださる彼女がうつむいたまま軽く会釈しただけでした。実はその時、すでにご家族は失格のことを知っていて、私は知らなかった。傷心の思いの奥さんに笑顔で挨拶するなんて…。後でそれを知り穴があったら入りたかった。今も忘れられません」と振り返る。その後、平山監督と笹原正三会長が家族と対面し謝罪した。

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