星野源・新垣結衣は「普通」の男女 過熱し続ける結婚報道への違和感

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 星野源さん、最近男っぽさが出てきたな……こりゃ彼女いるな、といちファンとして感じていた矢先だった。ガッキーこと新垣結衣さんと電撃婚。ショックだけど顔がにやける、ファンとしては複雑で最高の結婚報道だった。

 でも昨今の夫妻フィーバーぶりにはちょっと引いている。出演ドラマやその出演者の方が祝福するのはわかるとしても、CMスポンサーからロケ地までやんやの大喝采。“ガッキーロス”で休暇を取る企業もあるという。今は二人の結婚を祝福しなければ、非国民と言われそうな圧さえある。

 でもあの二人って、そういうの一番恐縮しちゃうタイプだと思うのだ。どちらも大スターでありながら、「普通」であることを重んじているはずだから。結婚発表にあたって、ガッキーからは、「私生活は低刺激な時間を求め心がけ過ごして」いたという一節もあった。すごく彼女らしいと思うと同時に、そういう浮ついたところのなさに星野さんも惹かれたのだと改めて納得する。そして私たちがガッキーを好きな理由もまた、圧倒的な可愛さの陰に、普通の女性としての感覚や「恥じらい」を感じるからではないだろうか。

 思い出すのが5年前の紅白で、審査員席にいたガッキーの振る舞いだ。星野さんの「恋」の歌唱中、サビで彼女をカメラが抜いた。「恋ダンスを踊ってください」という無言のメッセージだ。他の女性タレントなら、しっかりカメラ目線で踊った後に、ちょっとはにかんで見せただろう。「ノリも良いけど、でしゃばりすぎなくて可愛い」という評価を得られる。

 でもガッキーは真逆だった。伏し目がちに小さく踊り、心底恥ずかしそうにしていた。まるで街頭で、恋ダンス踊ってください!と無理強いされた一般人のように。やっぱり「普通」の感覚を忘れない女性である。もちろんこれが番宣の場やCMだったら、ガッキーだって笑顔全開で踊ってくれたはず。高いプロ意識と、一般女性の恥じらいを両立させている稀有な存在。さすがガッキー、とうなったものである。

 一方の星野さんも、「星野源は普通の男かどうか」論争に巻き込まれている。婚活中の女性が、星野さんのような顔立ちや雰囲気の男性を「普通」と称したことから始まったようだ。ただ、彼のポリシーはとても「普通」である。例えば「目を閉じて歌わない」という。目を閉じながら歌うと、自分に酔っているように見えるから、とのこと。昔は自分の声への拒否感さえあったそうだ。強い表現欲求と突出した才能を持ちながら、普通の人としての感覚に立ち止まることができる人。それだけ「恥じらい」を忘れない人は芸能界で珍しい。でもだからこそ、お茶の間から高い支持を得たのだろう。ガッキーと同じように。

日々の生活を重んじる似たもの夫婦 大スターが結婚で取り戻す「普通」の尊さ

 かつて好きな女性のタイプも、「SNSとかやらない、私生活が謎のミステリアスな女性」と口にしていた星野さん。目立ちたがり・匂わせたがりの女性が嫌というより、他人の反応よりも自分の生活を営むことを重んじる女性が好き、ということではないだろうか。

 そしてガッキーは見事にあてはまる。SNSはやらないし、週刊誌に撮られることもほぼなかった。バラエティでも私生活どころか愚痴さえ語らず、シャイな印象が強い。仲の良い女優さんとも、互いの自宅でお酒を飲みながらずっと話しているそうだ。モヤモヤした時は掃除をするとも語っていた。

 2度のくも膜下出血を経験したこともあり、「普通」の生活の尊さを感じていただろう星野さん。ぐうたらなところもあると謙遜していたガッキーだが、自宅での暮らしを粗末にしない彼女の姿は、魅力的に映ったはずだ。

 人気芸能人という立場に甘えない、というか甘えられない常識人たるガッキー。特別な美しさや演技力だけでない、普通な人ゆえの可愛らしさを持つガッキー。星野さん自身もエッセイで、「あなたは本当に素敵な、普通の女の子である」と評している。それは星野さんにとって最高の愛情表現であると同時に、ガッキーにとっても最大級の賛辞だったに違いない。

 人気芸能人としての立場と「普通」の自分の気持ちに、ギャップや孤独感を抱えていただろう二人。それでもプロとして第一線に立ち続け、タレントイメージを損なわない生活を守り続けた。今回の結婚に際し、笑福亭鶴瓶さんは「彼女が自由になるね」と星野さんに伝えたようだが、それは星野さんにとっても同じである。彼らの愛おしんだ「普通」の日常が、早く取り戻せますように。星野さんの「日常」を聴きながら、ガッキーの笑顔を思い出している。

冨士海ネコ

2021年5月27日掲載

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