結婚発表の新垣結衣、知られざる“ニコモ時代”をガッキー名付け親の編集者が語る

エンタメ 芸能 2021年5月25日掲載

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 今月19日、星野源(40)との結婚を発表した新垣結衣(32)。彼女の芸能生活は意外に長く、2001年に小中学生向けファッション雑誌「ニコラ」(新潮社)のモデルオーディションに合格したことに始まる。“ガッキー”というあだ名の名づけ親であり、“ニコモ時代”の活躍を間近で見守ってきた「ニコラ」元編集長の山元琢治氏が、当時の秘話を語った。

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 今から20年前、13歳のガッキーは、沖縄で両親と姉2人と暮らすごく普通の中学生だった。2番目の姉の勧めで、“まさか受かるとは思わずに軽い気持ち”でニコラモデルのオーディションに挑んだという彼女。オーディション時、副編集長だった山元氏は、こう振り返る。

「オーディションに現れた新垣さんは、日によく焼け、髪は耳が見えるほどのベリーショートでした。前髪も短く切りそろえられていて、初めて見た時は“沖縄から来た素朴な女の子”といった印象。他の応募者には垢ぬけている子も多かったので、正直言って特に目立った存在ではありませんでした。ただ、身長は159cmと中学生にしては高く、整った顔立ちをしていたので、モデルの素質はあるかもしれないと一次審査を通過させることにしました」

 この年、ニコラのモデルオーディションに応募したのは5530名。書類での一次審査を通過した58名が、東京で二次審査、最終審査と2度の面接に挑むことになる。なんとか最初の面接を通過したガッキーだったが、東京まで面接を受けに来ることの負担が大きかったのか、編集部に“最終審査を辞退したい”と申し出たという。

「残念ではありましたが、仕方ないと思い、特に説得したりはしませんでした。編集部の中で、新垣さんのことはたくさんいる応募者の中のひとり、というくらいにしか考えていませんでしたからね」(同)

 しかし、当日になると、ガッキーは最終審査の会場に現れた。

「最終審査では、プロがヘアメイクをして行うカメラテストがあります。カメラテストに現れた彼女を見て、その変貌ぶりにとても驚いたことを覚えています。メイクをすると見違えるほど洗練されて、これは絶対合格だということになりました」(同)

“ガッキー”の命名

 4名の合格者と共に、2001年10月号の「ニコラ」で晴れてデビューを果たしたガッキー。ニコラモデルは、レイやミキホなど下の名前を誌面での呼び名として使うことが通例となっていた。ところが、山元氏は彼女に”ガッキー”というあだ名を付けた。

「ユイと呼ぶよりも、新垣さんだから“ガッキー”が良いだろうと思いついたんですよ。中学では“ゆいぼ”や“ゆーいー”と呼ばれていたみたいですが、彼女も新しいあだ名を気に入ってくれましたね。その後、なぜかふざけて“ガキ山”なんてあだ名が出来たこともありましたが、やっぱりみんな“ガッキー”と呼ぶようになりました」(同)

 瞬く間に人気ニコモになったガッキーは、オーディションで掲げた「ニコラの表紙を飾りたい」という目標も、デビューからわずか2カ月後の2001年12月号で叶えた。

「翌年にはソロ表紙に抜擢され、北海道やニュージーランドでのロケ撮影にも参加していました。彼女が得意だったのは、“パパカジュアル”と呼ばれるお父さんっぽいファッション。ラフなシャツにダボっとしたジーンズを穿くなど、飾り気の無いスタイルで、私服でもそんなコーディネートが多かったです。あとは市松模様が好きで、市松模様のバッグや筆箱を愛用品としてよく紹介していましたね。SPEEDに憧れて沖縄アクターズスクールのオーディションを受けたこともあったそうで、ダンスや歌に興味があったみたいです。そんなこともあってか、当時流行っていたゲームセンターにある『ダンスダンスレボリューション』のゲームが得意でした」(同)

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