「青天を衝け」主人公・渋沢栄一の98歳孫娘が「吉沢亮ではイケメンすぎる」

エンタメ 週刊新潮 2021年5月6日・13日号掲載

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 NHK大河ドラマ「青天を衝け」が好調である。主人公は渋沢栄一。3年後には新1万円札の肖像画となることが決まっている。御年98歳になるその孫娘が、祖父の思い出を語った。

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「ドラマ、毎回見ています。事実に沿いながら上手に進めておられ感心します。何より、役者の皆さんが素晴らしい方ばかり……」

 と、鮫島純子(すみこ)さん。渋沢の四男・正雄の次女に当たる。齢98だが、背筋は伸び、かくしゃくたるもの。昭和6年(1931)に没した渋沢は、令和の日本では歴史上の人物だが、その生身の姿を語れる唯一の人物だ。

「晩年、祖父は、王子の飛鳥山に住んでいました」

 と鮫島さんが続ける。

「私は歩いて6分のところで生まれ育ちましたので、物心ついた頃から、祖父の家に遊びに伺うのが通例でした。祖父の屋敷は広くてかくれんぼや鬼ごっこにもってこい。同じ年頃のいとこたちも集まるからいつも楽しみでした」

 一方の渋沢も、当時は仕事から離れ、孫の来訪を心待ちにしていたようだ。

「“ごきげんよう”とお辞儀すると、必ず頭を撫でて“よう来られたな”と。梅干飴を一人ずつ口に入れてくれました。そして籐椅子に座って、私たちが遊んでいるのをにこにこして眺めていたのを覚えています」

天皇の勅使

 時には、

「夕食後、住み込みの書生さんに論語などを読ませる。祖父は別の仕事をしながら聞いていて、書生さんがつっかえると“そこはこうだよ”と教えます。“聖徳太子みたい!!”と子ども心に思っていました。年長のいとこたちに落語全集を読ませることもありました。江戸情緒を味わわせたかったのかしら。私もおじいさまに褒められたくて『寿限無』を覚え、祖父の前で得意顔で暗唱したことがあります」

「日本資本主義の父」の貴重な実像である。まだ幼かった鮫島さんはその「優しいおじいさま」が、約500もの会社を興した大実業家であることは知りもしなかった。偉大さに気付いたのは、死に際してだったとか。鮫島さんが9歳の年、渋沢は体調を崩す。すると、

「毎日、新聞に“脈がいくつ”“体温が何度”と載りましたし、飛鳥山に行くと記者さんたちが泊りがけでいらっしゃる。で、私たちに“おじいさんはどんな感じですか”と取材するのです。おじいさまは普通とは違うと実感したのはその時ですね」

 昭和6年11月11日、渋沢は91歳の天寿を全うした。

「臨終の場面にも立ち会いました。少し微笑んだ、崇高な死に顔でした。お別れをしようと、私はそっと足をさするばかりでした。納棺の時、涙を流していましたら、伯母が“泣いてはいけません。ありがとうとお見送りしましょう”。そして“これで戦争を止める人がまた一人おられなくなってしまった”と呟いたのが印象的でした」

 通夜は4日間行われ、葬儀には、天皇の勅使や時の首相・若槻礼次郎が参列。その年の9月、日本は満州事変を起こし、日中対立が深まっていく。そんな激動の時代のさなかだった。

 それから90年。肖像画の紙幣起用をきっかけに再評価が進む渋沢だが、実は鮫島さん、大河の放送前に気になることがあったとか。

「主演の吉沢亮さん、少しイケメン過ぎるでしょ。祖父はスマートじゃないし、どちらかというとずんぐり。おじいさまのような気がしないのではと思っていました」

 しかし、

「でも始まるとやっぱりイケメンはドラマとしていいなって……」

“吉沢”栄一の今後に注目。

ワイド特集「はるかなる黄金伝説」より