広島「中村奨成」はレフトで1番先発、2軍でもサードで起用、捕手は“卒業”へ

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會澤の“過去”

 プロ野球解説者の広澤克実氏に取材を依頼すると、「プロ野球はどの球団でも、捕手は非常に長い時間をかけて育成します」と指摘する。

「捕手は特殊なポジションです。守備と攻撃だけでなく、インサイドワークも求められます。育成に10年単位の時間がかかることは珍しいことではありません。それこそ広島の正捕手である會澤翼くん(33)の経歴を見れば分かります」

 會澤は水戸短期大学附属高校(現・水戸啓明高校)を卒業し、2007年に広島へ入団した。

 初めて1軍の練習に参加したのは09年。5月に初めて1軍へ昇格し、7月には初スタメンを果たした。

 それでも10年は2軍スタート。11年も1軍は19試合しか出場できなかった。12年には捕手登録のまま、外野の守備練習も行われた。

 苦しい日々が続いたが、14年になると正捕手だった石原慶幸(41)の故障が目立ってきた。

“お披露目”の可能性

 徐々に先発が増え、打率3割を維持したこともあり、同年7月には捕手としての定位置を獲得。入団8年目にしてチームの“女房役”になった。

「會澤くんと違って、3年目の中村くんは捕手以外のポジションで先発出場となりました。もし捕手として育てる気なら、1軍出場がもっと遅れていたかもしれません。中日戦の出場は、ファンへの“お披露目”ということだと思います。『中村は捕手からコンバートさせますが、今後もいっそうの応援をよろしくお願いします』というメッセージが込められているというわけです」(同・広澤氏)

 先に、中村は2軍に降格後、オリックス戦に出場したと触れたが、この時は何と「3番・三塁」で先発出場した。

 やはり広島の首脳陣が「捕手以外のポジション」を模索していることは間違いないはずだ。

 では、捕手から外野にコンバートした成功例を表にまとめてみたので、ご覧いただきたい。

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