「ガルベスVS山崎」「巨人阪神遺恨試合」 ……暴れん坊助っ人に対決を挑んだ“伝説の侍”たち

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右ストレートをお見舞い

 昨今は派手な乱闘シーンがあまり見られなくなったプロ野球。過去には、助っ人が乱闘の主役になった事件もかなりの数に上るが、“暴れん坊助っ人”を相手に、体格差をものともせず、果敢に対決を挑んだ“伝説の侍”たちもいた。

 屈強な助っ人をパンチ一発でKOしたのが、東映時代の大杉勝男である。事件が起きたのは、1970年4月28日の西鉄戦だった。1対1の7回、西鉄は先頭のカール・ボレスが三塁線を破る二塁打。次打者が左中間に大飛球を打ち上げると、ボレスはタッチアップして三塁を狙ったが、センターからの送球がショートのグラブに入ったのを見ると、慌てて二塁に戻る。その際、ベースカバーに入った大杉の胸の辺りを両手で押さえるようにして激しくぶつかった。

 挑発行為と思い込んだ大杉が両手で押し返すと、ボレスももろ手突きで応戦。大杉がボレスの頭を押さえつけようとした直後、ボレスのパンチが額のあたりをかすめる。カッとなった大杉が右ストレートをお見舞いすると、ボレスの顎に命中。次の瞬間、唇の左側から血を流しながら、右膝からグラウンドに崩れ落ちた。

 両軍ナインが2人を引き離し、最後は二塁ベース上で握手して和解となったが、沖克己二塁塁審は「2人がすぐ和解して大事には至らなかったので、暴力行為と認めず、退場処分にはしなかった」と、大らかな時代ならではの裁定を下している。

 この日の大杉はバットも好調で、4打数4安打2打点の大当たりでチームの勝利に貢献。試合後、口の悪い記者から「今日は(ボレスへの一発も含めて)5打数5安打だね」とツッコまれると、大杉は「こっちもカッとしたのは悪いけど、あのくらいファイトがあってもいいでしょうよ」と、いかにも“武闘派”らしいセリフを口にしている。

ヘッドロックで応酬

 90年代を代表する「暴れん坊助っ人」といえば、球審にボールを投げつける暴挙で出場停止処分を受けたバルビーノ・ガルベス(巨人)を思い出すファンも多いはず。そのガルベスと“日米ヘビー級対決”を繰り広げたのが、中日時代の山崎武司だ。

 96年5月1日の巨人戦、ガルベスの前に4回まで無得点の中日は5回、先頭の山崎があわや頭部直撃の危険球を投じられる。身をかがめて何とかかわしたものの、ボールは山崎のヘルメットのわずか上を通過した。

「ガルベスは完全に当てにきた。打席に入る前から目がこっちに来とったから、ここはデッドボールがあるなと思っていた。雰囲気的に来るなと思っていたから何とか避けられたけど……。いつものように踏み込んでいってたら、間違いなく頭に当たってた」

 前日の試合でも、山崎は7回に岡島秀樹から右肘に死球を受けており、この日も5回表に巨人・落合博満が小島弘務から背中に死球を受け、怒りをあらわにしていた。その余韻も覚めやらぬ、5回裏の山崎の頭部への危険球は、“報復”と思われても仕方がなかった。

 直後、86キロの山崎が、血相を変えて107キロのガルベスに向かっていく。この時点の山崎は、「頭を下げてくれれば俺は何もしない」(自著『さらばプロ野球 ジャイアンの27年』宝島社)つもりだったが、ガルベスは謝るどころか、間合いを詰めながらグラブを外すと、左手でパンチを繰り出した。大事な右手を庇ったことからもわかるように、最初からやる気満々だった。

 これに対し、山崎も唇から出血しながら、ガルベスに襲いかかると、ヘッドロックをかけて応酬。ファーストの落合が必死の形相で2人の間に割って入ったのを合図に、両軍ナイン入り乱れての大乱闘が始まり、山崎とガルベスは“喧嘩両成敗”で退場になった。

 日本人投手の死球や内角攻めに激昂した助っ人がマウンドに突進するシーンは珍しくないが、「日本の野球をなめられたくなかった」と暴れん坊助っ人に立ち向かっていった山崎は、“侍ファイター”として名を残すことになった。

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