グローバル企業傘下で創薬研究に集中する――小坂達朗(中外製薬代表取締役会長)【佐藤優の頂上対決】

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イノベーション人材

佐藤 創薬中心に会社を動かしていくと、やはり人材が非常に重要になってきます。人材のマネジメントではどんなことに留意されていますか。

小坂 イノベーションのためには、やはり多様化が必要です。ジェンダー、ナショナリティ、そして経歴と、さまざまな人たちが交じり合うダイバーシティ(多様性)のある環境で創薬していく。その上で欲しいのは、自分で勉強して成長してくれる人材ですね。そしてイノベーションを楽しむことのできる人がいい。

佐藤 従業員7500人ほどのうち、研究者はどのくらいでしょう。

小坂 千人ほどいます。

佐藤 研究開発者の処遇は大変ではありませんか。例えば、青色発光ダイオードを発明した中村修二氏は勤めていた会社に訴訟を起こしました。あるいは、ノーベル賞学者の本庶佑氏は共同研究した会社を訴えている。いずれも発明の対価を巡ってですが、こうなると成功しても会社に与えるダメージは大きいし、働いている人たちも不愉快な気分になってしまう。

小坂 弊社ではイノベーションで特許を得た場合、売り上げや特許期間などを加味して、それなりの対価を出すきちんとしたルールがあります。

佐藤 そこは重要なポイントですね、そしていかに「健全な愛社精神」を育むかが重要になります。

小坂 愛社精神は大事ですね。いまはエンゲージメント(関わり・参加)という言い方もあり、そのベースはもちろん愛社精神ですが、やはり時代の流れで変わってきたところがあります。社員のエンゲージメントを高めるためにもっとも大事なのは、会社が何のために存在するのか、つまりミッションを明確にして、しっかり社員に伝えることだと思います。弊社の場合は、画期的な医薬品やサービスを通じて、世界の医療と患者さんに貢献していくことです。それが伝われば、自分のやっている仕事がどう社会の役に立っているかがわかる。

佐藤 人事においては、退職者の活用を進めておられますね。

小坂 06年から退職者の再雇用制度を設けていたのですが、昨年、制度を刷新し、対象を拡大しています。自己都合で他の会社に転職した人でも、戻りたければ復帰してもらいます。

佐藤 他流試合をしてきた人たちは、モノの見方が違いますからね。

小坂 やはり多様な人材ということです。退職した元社員に情報を提供し、関係を保つ制度にしています。

佐藤 同時にDX(デジタルトランスフォーメーション=変革)にも力を入れておられますね。

小坂 19年度の本決算で、DXが社会を変え、産業を変え、中外製薬を変えると話しましたが、こうした組織改革はトップから発信しないと進みません。

佐藤 女性の執行役員を日本IBMからヘッドハンティングされたことが話題になりました。

小坂 彼女を中心とするデジタル・IT統轄部門を創設し、昨年3月に「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」というロードマップを発表しました。まずはデジタルの基盤を強くします。これは人もシステムも対象とします。そしてセカンドステップでは、研究から開発、生産、営業、管理部門まで、バリューチェーンのすべてをDXで効率化していく。さらにその次には、AI(人工知能)を使って創薬を行います。

佐藤 DXがただの効率化に終わらないことが大切です。

小坂 その通りで、DXが付加価値を生み出していかないといけない。弊社の場合は、AIなどのデジタル技術で画期的な新薬作りをすることが最終目標です。

佐藤 AIを使うと、どのくらい期間や費用を短縮できそうですか。

小坂 まだ始まったばかりで何とも言えませんが、プロセスの効率化や優れた新薬候補物質の発見に活用できます。将来は期間・費用が大きく短縮できることを期待しています。

製薬を基幹産業に

佐藤 今回のコロナ禍では、日本からワクチンが生まれませんでした。これはどのへんに原因があるのでしょうか。

小坂 弊社は新型コロナのワクチン開発はやっていませんが、やはり欧米の動きを見て、どうしてこんなに差がついたのか、という思いにはなりましたね。要因の一つは、欧米が未知の感染症やテロへの対策として研究をしていたことがあるでしょう。02年のSARS、12年のMERS流行があり、またアメリカ政府などはバイオテロ対策として感染症研究に大きな投資をしてきました。

佐藤 それはロシアも同じですね。経済力から言ったら、ロシアがワクチン開発で欧米と並ぶことは考えられません。でも生物兵器の研究をしていますから、その積み重ねが新型コロナワクチン「スプートニクV」として出てきた。

小坂 もう一つは、アメリカ、ヨーロッパとも創薬ベンチャーが非常に多いことですね。政府から支援を受けているところもあり、そうした会社と大手企業が提携したりする。ファイザー社のワクチンは、ドイツのビオンテック社の開発したmRNAワクチンが元になっていますが、同社はトルコ出身のサイエンティストが作ったと聞いています。

佐藤 まさに多様性ですね。

小坂 これをファイザーが引き受け、非常に大きなエンジンで、通常、5年から10年かかるところを1年未満で開発した。製造についてもファイザーだからすぐ量産できたのです。

佐藤 億単位のワクチンを作るには大規模な設備が要りますからね。

小坂 残念ながら日本の場合、ベンチャーに対する政府の支援も弱いし、大企業との提携も少なく、ベンチャーが育つ風土自体ができていない。

佐藤 ベンチャーは中小企業ですから、銀行からお金を借りると、個人で連帯保証しなければならなくなります。そうすると失敗できませんから、二の足を踏む人も出てくる。

小坂 それからマインドセット(思考様式)もまだまだです。アカデミアとビジネスが繋がっていない。

佐藤 確かに大学では、ビジネスに必要な知識を研究者にまったく与えていません。

小坂 実は世界で創薬できる国は、10カ国くらいしかありません。

佐藤 一応、日本はそこに入っている。

小坂 それどころか、アメリカに次いで2番目の実力があります。ただ、これからはそうでなくなるかもしれない。今年から日本では毎年薬価の改定があり、薬の値段がどんどん下がっていきます。しかも特許があるものでもどんどん価格が落ちていく。そんな国は日本くらいです。

佐藤 国家財政の大部分は社会保障費、それも医療費と介護費です。制度を維持するにはそこを削るしかないと考えられている。

小坂 いまの日本の薬剤市場はだいたい10兆円で、これが大きく増えるとは思っていません。ただその中でメリハリはつけてほしい。やはり画期的な新薬は、その価値に見合う価格をつけていただきたいですね。

佐藤 それは正当な要求です。

小坂 日本の製薬産業は、自動車産業に次いで税金を多く払っています。資源の少ない日本にあって、知的財産である製薬は、大きく成長する可能性があります。医療の質の向上や経済成長、そして安全保障の問題も含めて考えれば、製薬産業を日本の基幹産業にしていくべきだと思っています。

小坂達朗(こさかたつろう) 中外製薬代表取締役会長
1953年東京生まれ。北海道大学農学部卒。76年中外製薬入社。国際部、ニューヨーク駐在を経て、95年英国の中外ファーマ・ヨーロッパ副社長。2000年医薬事業戦略室長、02年執行役員経営企画部長となりロシュとの提携交渉の事務リーダーを務める。12年社長兼COO、18年社長兼CEO、20年より会長兼CEO。21年3月より現職。

週刊新潮 2021年4月22日号掲載

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