辛坊治郎氏がヨットで太平洋横断へ出航 本人は「出航前にコロナをもらってたら心配……」

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靴に入った小石

 九死に一生を得た海難事故から8年。“リベンジ”に燃えるキャスターの辛坊治郎氏が、4月9日午前9時17分、大阪・淡輪ヨットハーバーから単独無寄港、無補給、無伴走による太平洋横断へとヨットで出航した。

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 辛坊氏は2013年6月、全盲のヨットマン・岩本光弘氏(54)と2人で、福島県いわき市からアメリカのサンディエゴまでヨットで航行する「『ブラインドセーリング』プロジェクト」に臨んだ。しかし出港から5日後、宮城県沖1200キロのあたりでクジラと衝突。救命ボートに逃れた2人は、約10時間後に海上自衛隊の救難飛行艇に救出された。

 テレビ3本、ラジオ3本のレギュラー番組を抱える売れっ子のキャスターが、そのほとんどを降板して、危険な旅に再挑戦するのは、なぜなのか。以前、デイリー新潮の取材に、こう答えている。

「(8年前の失敗が)今でも“靴に入った小石のように”気になっています。リベンジを果たさなければ死んでも死にきれません。4月11日に65歳になりますが、体力的にも最後のチャンスになります」

 また、前回のパートナーである岩本氏が、19年2月、アメリカ人のパートナーと組んで太平洋横断を成功させたことも、リベンジを決意する後押しとなった。その際、マスコミからコメントを求められ、辛坊氏は心から祝福したが、同時に「次は辛坊さんの番ですよ」と、バトンを渡された気持ちになったという。

唯一恐れているのは……

 今回、一人旅を選んだのは、

「自分が命を落とすことに覚悟はあっても、誰かの命に責任を持てなくなったのです。ひとりだからこそ行く決心ができました」

 そして、出航を迎える朝、緊張しているかと思いきや、辛坊氏は思ったよりリラックスした表情を見せていた。妻の名がついた自前のヨット「KaorinⅤ(カオリンファイブ)」に乗り込むと、出港前の心境を問われて、

「渡るのは私じゃなくて、船なんでね。今、船の付き添い人みたいな気持ちです。レースじゃないんで1秒を争うわけでもないし、流れに乗れば、そのうち(アメリカ西海岸に)着くでしょう」

 と笑い、「思い残すことはないですか」という聞きようによっては縁起の悪い質問にも、「思い残すことって言うな! その質問おかしいやろ!」と笑顔でツッコミを入れていた。

 しかし、そんな辛坊氏が唯一恐れているのは、大阪で感染が急拡大しているコロナだ。出発を誕生日ではなく、2日前倒しにした理由もコロナが一因だという。YouTube「辛坊の旅」の管理運営をしている放送作家の鍋谷直輝氏が、その様子を話す。

「出航を9日にしたのは天候の影響もありますが、辛坊さんへ“(誕生日が)日曜なので、見送りに行きます!”という連絡がたくさん入ったからです。これでは狭い桟橋に人があふれかえってしまう、クラスターを発生させるわけにはいかない、と不義理を覚悟で人に知らせず、2日前倒しにしたんです。取材に来ていただいたマスコミも親しい新潮社さんと報知新聞さん、船の専門誌「月刊Kazi」(舵社)さんと読売テレビだけです。ご家族でさえ見送りにはいらしていないんですよ。

 8日には出入国管理局の方がヨットまで来られて手続きをしたり、ヨットハーバーの解約をしたり、衛星電話の最終的なチェックをしたりとバタバタしていたのですが、辛坊さんの太平洋横断をサポートしてくれるスタッフも、必要最低限の2~3人。夜はヨット脇に七輪を置いて、そのスタッフたちと焼き鳥をささやかに食べ、翌日に備えて、ヨットで休みました」

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