菊池涼「エラー判定」騒動で思い出す…張本勲の“訂正要求”とスペンサーの“記録室乱入事件”

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「遠田の肩に当たった」

 公式記録員に抗議したばかりでなく、スコアカードを破り捨てる暴挙を働いたのが、阪急のダリル・スペンサーである。67年6月7日の南海戦、6回にブレイザーのゴロを処理したスペンサーは、一塁カバーに入った投手の浜崎正人とセカンド・山口富士雄の中間に送球したが、2人が譲り合ったため、捕球に失敗。この間に二塁走者・小池兼司がホームインした。

 自分に失策がついたことを知ったスペンサーは翌日の試合前、禁じられているユニホーム姿で記録室に立ち入り、中沢聖晴記録員に激しく抗議したあと、前日の試合のスコアカードを真っ二つに破り捨ててしまった。

 スペンサーには戒告と制裁金5万円の処分が下ったが、公式記録員への侮辱を理由とする処分は、もちろん前代未聞の出来事だった。にもかかわらず、スペンサーは「罰金を払わなければいけないことではないのに、どういうことなのだ?」と仏頂面だったという。

 それから22年後、昭和から平成に変わった最初の年に、公式記録員に抗議したのが、大洋時代の高木豊である。

 89年6月30日の中日戦の8回、大豊泰昭の代走に起用された遠田誠治が、岡本透のけん制球に誘い出される形で、一塁を飛び出してしまった。ファースト・パチョレックはすかさず二塁に転送したが、高木がはじいたためセーフ。遠田に盗塁死、高木にエラーが記録された。

 ところが、試合後、高木が「送球が遠田の肩に当たったから、捕れなかったんだ」と藤森清志記録部長に抗議すると、言い分が認められ、エラーは取り消しに。遠田にも盗塁が記録された結果、これがプロ3年目の初盗塁になるのだから、つくづく記録は奥が深い。

 2年ぶりのエラーがついた菊池涼だが、ヒット性の打球でも果敢に向かっていく意欲的なプレーの結果であり、今回の一事により、守備の名手として一層記憶に残るプレーヤーになったのも事実。「気持ちを切り替えて、新たな金字塔を打ち立ててほしい」というのがファンの願いでもある。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年4月10日掲載

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