志村けんに愛された女たち 「川上麻衣子」に明かしていた「結婚観」 「安めぐみ」「熊切あさ美」に語っていた「お笑い観」

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「お笑いはバカになりきることだよ」

「バカ殿」では白塗りの化粧を自身で施していたという志村。安との酒席では「笑い」への自身の思いを語ることもあった。

「私が20歳を過ぎてお酒を飲めるようになると、“大人の仲間入りだね”ととてもうれしそうにされていました。そういう席で志村さんは年齢を重ねても“お笑いの仕事をずっと続けていきたいんだ”、ともおっしゃっていました。主人(お笑い芸人の東貴博)の父である東八郎さんにも志村さんはお世話になったみたいで、そういうお話もされていましたね」(同)

 志村の自著『変なおじさん【完全版】』(新潮文庫)には東八郎に関するこんなくだりがある。

〈僕は、東さんに大きな影響を受けたから。/東さんに言われたことがある。

「ケンちゃん、お笑いはバカになりきることだよ。(中略)自分は文化人だ、常識があるんだってことを見せようとした瞬間、コメディアンは終わりだよ」

 僕はずっとその言葉を大事にしている〉

 安が続ける。

「主人も志村さんの番組に何度も呼んでいただきまして、変なおじさんの“何だチミは”というセリフを任されたこともあったそうです。その時は主人が“震えた”と話していました」

麻布十番が根城

 00年代から公私ともに親交のあった熊切あさ美も、志村の笑いに対する真摯な姿勢を聞かされていた。

 熊切が語る。

「芸人さんと飲むときにご一緒させていただくと、“ギャグやキャラクターは自分が飽きても周りは飽きていないこともある。なんでもやり続けたほうがいいよ”と話していました」

 最初に志村に飲み会に連れて行ってもらったのは、17~18年ほど前のこと。

「番組終わりだったと思います。“今日この後みんなで飲みに行くけどどう?”みたいな感じで誘われて、最初は湯島のちゃんこ屋さんでした。志村さんが昔、いかりやさんに連れてきてもらったお店で、自分が稼げるようになったら食べに行きたいと思っていたそうです。飲みに行くとコントの話になることが多かったですね。志村さんがよく演じていた『ひとみ婆さん』には、こんなモデルがいたんだよ、とか」(同)

 熊切によれば、飲み会の場となったのはかつて志村自身が住んでいた港区の麻布十番が圧倒的に多く、

「気兼ねなく、ご自身を解放できる場だったんでしょうね。私と待ち合わせる時は何の変哲もない喫茶店だったりするんですよ。個室もないその店で志村さんが待っている。仲の良かった千鳥の大悟さんと私と一緒に飲みに行った時は“この店入ってみるか”と一見の居酒屋にひょいっと入店したりもするんです」

 よく嗜んでいたのは焼酎だったそうで、

「杉良太郎さんが作られている『鹿児島大地』という焼き芋焼酎を一時期ずっと飲んでいました。志村さんの行きつけの店には必ずそのボトルが置いてあって、ロックで飲む時とお水をほんの少しだけ入れて水割りで飲む時とがあったんですけど、混ぜたらダメだったんです。たぶん、焼酎の香りを大事にしたかったのではないでしょうか。仕事が終わって、18、19時頃から24時を過ぎるまで飲んで、“家で飲みながら映画見る”と言って帰っていく。16年に肺炎を患う前までは、タバコもよく吸っていましたね。一頃は喉に良いからと、無添加のアメリカンスピリットを好まれていました」(同)

「青なら会う、赤なら会わない」

 一方で、志村は共演者と多くの浮名を流してきたことでも知られる。特に「だいじょうぶだぁ」などで共演した、いしのようこ(53)とはかつて「結婚寸前」だったと報じられた。

 結果的に生涯独身だった志村は、自身の結婚観について前出の川上に対しこう漏らしていた。

「結婚したいと言いながら、矛盾することを口にしていました。曰く、一人でいる時間を大事にしたいから、ずっと一緒にはいたくない、と。よく話していたのは“玄関に信号機をつける”という話でした。今日は一緒にいてもいい日、ダメな日をお互いに信号で出しあって、青なら会う、赤なら会わない。“そういうのが理想だ”って。そんなことをOKしてくれる人はなかなかいませんよね。それなのに、子どもは欲しくて、男の子だったらバカ殿の格好をさせたいと言っていました」

 いしのとの夫婦コントについては、

「志村さんが話していたのは、いしのさんとのコントは二人で作っていたということでした。お互い雑談をする中で、あれをやったら面白そうだ、とか、こうした方がいいのでは、とか話を膨らませながら作っていったそうです」

 独り身という現実世界の寂しさを埋めていたのはコントだったのだろうか。熊切が再び、

「志村さんは飲み会でもずっと話すというよりは、みんなの話をじっと聞いてくれるタイプの方でした。人見知りというほどではありませんけど、シャイだったと思います。コントの現場では夫婦役となったり、時にお風呂に入ったりと、少なくともその時間は気に入った女の子と一緒にいられます。女性タレントと心を通じ合ってコントを演じることが、ご本人にとっても楽しい時間だったのではないでしょうか」

 志村は結婚に踏み切れないまま古希を迎えることになるが、その生活ぶりは大きく変わることはなかった。
 
 図らずも志半ばで三途の川を渡ることになり、閻魔大王も突然の訪問者にさぞ困惑したことだろう。あるいは「なんだ君は」と声をかけられた志村が、

「なんだチミはってか、そうです私が……」

 なんて、冥界の主を笑わせたかもしれない。

週刊新潮 2021年4月1日号掲載

特集「『愛された女たち』が偲ぶ『志村けん』 酒とバラとタバコとコントの日々」より

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