「肩書き」なんていらない!?  芸能人? タレント? どれもしっくりこないふかわりょうが辿り着いたもの

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いとうせいこうにかけられた言葉

 既成の商品がだめなら、オーダーメイドしかありません。自由に作っていいのなら、私は「へそ曲がりスト」。これが今の所一番しっくりきます。好きな映画は単館映画で上映されるようなものばかりを挙げ、「いいねなんて、いらない」と公言する男。私はいたって真っ直ぐだと思っているのですが、社会的にはきっと、「曲がって」見えているだろうから。どのようにビジネスに繋げるのかわかりませんが、世の中には必要です、こういう人間が。できることなら「へそ曲がりスト」を生業にし、オーチャード・ホールで、へそ曲がりリサイタルを開催したいものです。日本へそ曲がり協会の理事を務めたり。

 私の知り合いに、平山夢明さんというホラー作家がいらっしゃいます。この方はとても気さくで庶民的で、お金はあるのに、その日暮らしで生活しているように窺える稀有な方。威圧感こそないものの、社会を小馬鹿にしている言動に、多くの人が魅了されます。その方とお話ししたときに、肩書きに対する違和感を述べていました。

「作家じゃないんだよな。強いて言えば、文章を書いて、売る人なんだよ」と。「文章を書いて、売る人」辞書で引けば、「作家」に該当するでしょう。しかし、夢明先生は、そこに違和感を覚えるのです。さすがです。既製品への抵抗なのか、タキシードを着せられて、どうも感じでないんだよなぁとつぶやくように。そうなると、「小説家」や「作家」も、意味はほぼ同じでも、どっちを羽織りたいかは人によって別れるのでしょう。

 披露宴パーティーに出席していた時です。後ろから肩を叩かれると、メガネをかけた男性の顔がありました。嬉しそうに私に言います。「君も俺と一緒で、馴染まないね。どこ行ってもそうでしょ?」と。5年ほど前でしょうか。いとうせいこうさんでした。確かに、作家である新婦とつながりがあったとはいえ、文壇の人たちが集うパーティーには馴染んでいなかったと思いますが、せいこうさんがおっしゃったのは、きっと、「どの場所にいても」ということでしょう。

 確かに、あまたあるパーティーでしっくりきたことはありません。下手すると、自分の披露宴でもしっくりこないのかもしれません。ただ、意外だったのは、「俺と一緒で」という部分。せいこうさんこそ、側から見たら違和感ないのですが、ご本人としてはしっくりきていないようでした。確かに、ラップをされたり、小説を書くほか、さまざまな活動をされているので、一つの肩書きにおさまるタイプではありません。

 そういった方々に比べれば、私は単に、お下がりの服をあてては嫌だと駄々をこねているだけかもしれません。

「小言家」

 一体、自分は何者なのか。私に見合った肩書きはあるのだろうか。靴を購入するときにぴったりのサイズを探すように、自分に見合った肩書きを探す日々。

 勢いで結婚したけれど、本当にこの人でよかったのだろうか。会社に勤めている方も、どれほどの人が仕事に対してしっくりきているのでしょう。もしかしたら、他にもっとしっくりくる場所があるかもしれないと思っているのではないでしょうか。芸能界においても、この仕事に向いていると感じながらやっている人よりも、向いているのかなぁと揺らぎながら現場に向かっている人の方が多い気がします。

 しっくりなんて一生こないのかもしれません。髪型だって、分け目一つとってもいまだに落ち着かない。ずっとしっくりこないまま歩く、靴擦れ人生。座った椅子がずっとカタカタして、棺さえも、肩のあたりがぶつかって。

 こたつにみかん。あんパンと牛乳。そんなふうにしっくりくることは滅多にないのです。むしろ、しっくりきたらおしまいなのかもしれません。既成の枠組みにはまらない人間といえば、かっこいいのでしょうが。しっくりくる場所を探しながら、ずっとしっくりこないまま。ならば、この感じを楽しむことができれば。

「こちらはいかがでしょうか?」

 店員が男の前に差し出した。

「小言家?」

「そうです。先ほどからお話を伺っておりますと、どうやら、小言がお好きなようで、社会との接点がそこにある気がいたしまして」

「それは……」

 男は少し間を置いた。

「クレーマーということですか?」

「いえ、違います、あくまで小言、自己消化型です。よかったら3カ月無料なので、ぜひお試しになってみてはいかがでしょう」

 男は照れ臭そうにその肩書きを羽織ると、軽く会釈をして店を後にした。

2021年2月27日掲載

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