星野仙一が遭難寸前、新庄剛志は“神対応”…プロ野球キャンプで起こった珍事件

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「佑ちゃんに救助された」

 今年も2月1日からプロ野球各球団の春季キャンプが一斉スタート。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、宮崎、沖縄両県では無観客開催になるなど、地元ファンとの交流も自粛ムードが色濃いが、過去には、本拠地では味わえないような地元の人々とのふれあいや何十人もの選手たちが集団生活するキャンプ地ならではの珍エピソードもたくさんあった。

 2011年の楽天の沖縄・久米島キャンプでは、就任1年目の星野仙一監督が宿舎に戻る途中で迷子になったところを、地元の少年たちに救助されるという事件が起きた。

 キャンプ初日の2月1日、練習を終えた星野監督は、久米島球場から送迎の車で約8.6キロ離れた宿舎に帰る際に、健康のため、ラスト3キロを一人で歩くことにした。ところが、「3キロのところで降ろしてくれ」という指示を、運転手が「グラウンドから3キロの地点」と勘違いしたことから、思いもよらぬ展開が待ち受けていた。

 車を降りた星野監督が1キロ余り歩くと、島に2つしかない“目印”のガソリンスタンドが見えてきた。ここを右折すれば、約800メートルで宿舎に到着するはずだった。

 だが、右折すると、目の前にはまったく見たことのない風景が広がっていた。首を捻りながら、さらに500メートル先の製糖工場まで進んだ星野監督だったが、歩き疲れてしまい、仕方なく手すりに両手をかけて屈伸運動をしていた。

 そこへ地元少年野球チームに所属する小学6年生3人が通りかかり、「監督、どこへ行くんですか?」と声をかけた。「ホテルだよ」と答えると、「こっちの方角にホテルなんてありませんよ」と言われ、初めて迷子になったことに気づいた。久米島は人口8713人(当時)で、日中でも出歩く人は少ない。もし、このまま日が暮れていたら、大変なことになっていたかもしれない。

 地獄で仏とはまさにこのこと。「道に迷った。案内してくれ」と頼むと、3人は快諾。4.5キロの道のりを約1時間かけて一緒に歩き、残り200メートルほどになった地点で、携帯電話で“遭難”を知らされ、探していた球団関係者の車とようやく合流できた。

「この子たちがいなければ帰れなかった。命の恩人や。お礼をしたい」と感謝した星野監督は、3人を宿舎まで連れていき、座右の銘である「夢」と書かれた色紙に、3人の宛名を書き加えてプレゼントした。くしくも少年の一人の名前が「ユウキ(佑貴)」だったことから、翌日の新聞は、日本ハムの人気ルーキー・斎藤佑樹に引っ掛けて、「星野監督が佑ちゃんに救助された」と報じている。

もみくちゃでもUターン

 4年ぶりに日本球界に復帰した新庄剛志が人気を独占した04年の日本ハムの沖縄・名護キャンプでは、フェンス越えの打球をめぐり、“チン事”とも呼べそうな事件が起きた。

 キャンプ2日目の2月2日、前日のフリー打撃では柵越えわずか1本に終わった新庄だったが、この日は48スイング中、安打性19本、柵越え4本と調子も上向き。だが、27スイング目のライナー性の打球が左中間芝生席に飛び込んだ直後、「ボーッと別のところを見ていた」地元の小学4年の少年の股間付近を直撃してしまう。

 少年は悲鳴とともにその場にうずくまり、新庄も「ひょっとして当たっちゃった?」と心配そうだった。だが、幸い急所をかすめ、左太ももに当たっていたため、2分後、少年は元気に立ち上がった。

 そして、練習終了後、大勢のファンに囲まれた新庄が一気に走り抜けようとしたとき、「この子に当たったんです」とファンの女性が声をかけた。すると、新庄はその場で足を止めると、もみくちゃになるのも厭わずにUターン。「ごめん、大丈夫?」と少年に声をかけると、色紙にサインして手渡し、頭を軽くポンポンと叩くと、走り去っていった。

「カッコ良かった。うれしい」と少年は大喜び。「オレも当たりてえ!」と一緒に見学していた同級生たちから羨ましがられていた。この少年との交流を手始めに、新庄は同年から北海道に移転したチームを、“お祭り男”として多彩なファンサービスで盛り上げ、“道民球団”として定着させている。

 10年の巨人の宮崎キャンプでは、宿舎のカレーをめぐり、“激辛騒動”が起きた。騒動を報じたのは、同年2月25日付の東京スポーツ。カレー好きの野球選手は多く、巨人の選手たちも、練習後のスタミナ源として愛食していた。
ところが、キャンプ初日に中辛味だった宿舎のカレーが日に日に辛さを増していき、第2クールのころには、常人なら食べられないほどの超激辛味に変わってしまった。

 早速、“犯人”捜しが始まり、大の辛党で知られる伊原春樹ヘッドコーチのリクエストと判明したが、相手が“上司”では、クレームをつけるのも気が引けるというもの。そこで、中辛と激辛の2種類を提供してもらうようお願いしたが、その中辛も、なぜか数日後には激辛に変わってしまった。

 確かに本場のインドやスリランカ並みに辛いカレーを好む人もいるが、激辛が苦手な人も多く、双方ともに満足できる中間点がないだけに、時にはこんな“悲喜劇”も起きてしまう。同年オフ、伊原コーチは球団編成本部シニアアドバイザーに異動しているので、騒動もこれで幕となったと思われる。

 キャンプは食事ひとつ取っても、一筋縄ではいかぬことがよくわかる。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年2月19日掲載

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