資本主義にいかに倫理を導入するか――中谷 巌(「不識塾」塾長)【佐藤優の頂上対決】

ビジネス 週刊新潮 2021年2月4日号掲載

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 お互い独立を保つべき政府と中央銀行が一体化し、デフレ脱却のため金融政策や国債、株式購入などで大量に市場にお金を供給してきた日本。そこにコロナ禍の経済対策も加わり、国の借金は雪だるま式に膨らんでいる。はたしてこのまま突き進んで大丈夫なのか。新自由主義と決別した経済学者の警告。

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佐藤 中谷先生は高名な経済学者でいらっしゃいますが、いまは企業の経営幹部を集めて、哲学、歴史、文化、宗教、倫理など、リベラルアーツを学ぶ「不識塾」を主宰されています。私も時々、そこでお話しする機会をいただいています。

中谷 企業のトップになる方々と現代人間世界の根源的な問題についてともに考えたいと、もう20年ほど続けています。数えてみたら、多摩大学の学長時代も含め、佐藤さんには10回も来ていただいている。ありがとうございます。

佐藤 私にとって、中谷先生はまず「恩人」です。外務省を受けた際、先生の『入門マクロ経済学』が非常に役立ちました。2005年に初めてお目にかかった時、その本にサインしていただきましたね。

中谷 ああ、そうでしたね。

佐藤 そこで「本当に勉強になりました」と申し上げたら、「その本を書いた当時の経済学はちょっと違うと思うようになって、いま抜本的に組み直している」とおっしゃった。そしてその3年後に、新自由主義やグローバル資本主義との訣別の書である『資本主義はなぜ自壊したのか』を出版されました。

中谷 平成はグローバル化が著しく進展した時代で、構造改革、規制緩和の大合唱でした。でも結局は格差が広がり、気候変動も加速した。自由経済の弊害が大きく出てきた時代です。

佐藤 しかも既存の経済学理論が効かなくなっていった。異次元の金融緩和で通貨発行量を増やしてもデフレから脱却できないし、お互い独立性を保つべき中央銀行と政府が一体化し、中央銀行がどんどん国債を引き受けてもインフレにはなりません。いまや「緊縮財政」とか「プライマリーバランス」と言う人はいなくなってしまいましたね。

中谷 おっしゃる通りで、ここ20年ほど中央銀行による貨幣の供給とインフレーションの関係がマクロ経済学の理論とはまったく合わなくなっています。日本銀行の黒田東彦総裁は、必要ならいくらでも国債を買って貨幣を供給する方針を続けていますが、いま議論になっているのは、株です。

佐藤 日銀によるETF(上場投資信託)購入ですね。

中谷 特にコロナ感染拡大の2020年春以降は年に12兆円も買っていますから、日銀の保有する上場企業の株式比率がものすごく高くなっていて、20%以上の大株主になっている会社もあります。政府と一体化した中央銀行が、多くの上場企業の大株主になった。これは資本主義の放棄というか、まさに異常事態です。

佐藤 このままだと、封建君主が国を自身の財産とみなす「家産国家」のようになってしまいます。

中谷 昔は中央銀行が存在せず、王様が好き勝手に財産を動かしていたわけですが、それだと健全な経済体制が維持できない。そこでまずイギリスで民間銀行だったイングランド銀行が中央銀行に格上げされて、そこが責任を持って貨幣供給をするという仕組みが生まれました。その制度がずっと続いてきたわけですが、もう貨幣供給量の微調整では資本主義経済を成長させられなくなったんですね。

佐藤 日銀がどんどん市場にお金を供給したわけですから、伝統的経済理論ではインフレになります。

中谷 でもなりません。しかも成長も刺激されない。いったいどうなっているの?という状況なのです。

佐藤 これは日本だけではなく、先進各国で起きている現象です。

中谷 アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)もヨーロッパのECB(欧州中央銀行)も同じような政策を取っています。それと呼応するように、際限なき通貨供給を正当化する理論が広がっている。

佐藤 MMT(現代貨幣理論)ですね。

中谷 そうです。いままでは財政健全化が重要な政策課題で、消費税を上げるなど増税によってバランスを取るのが一般的でした。それがMMTでは、税金で財源を作るのも、国債で財源を作るのも質的に何ら差がないということになった。必要な時が来れば国家権力を持つ政府がいつでも国民からお金を徴収できる。だから財政赤字になっても、まったく問題がないと考える。議論はあるにしても、いまMMTが正しい理論であるかのように世界経済は動いています。

佐藤 しかも新型コロナ対策で大盤振る舞いしていますから、その傾向に拍車が掛かっています。

中谷 だからいまの経済政策は、戦時下の総動員体制のようです。それにブレーキをかける人や機関がないのが、大きな問題だと思います。

湿った床の上の油

佐藤 ただ、それでも思うように経済は成長しません。お金が実体経済に向かわず、金融市場をグルグル回っているということでしょうか。

中谷 金融にすべてが回っているわけでもないのです。例えば日銀が国債を買ってお金を支払いますね。それは市中銀行に預金しますが、銀行はそれをさらに日銀の当座預金に預け直します。いまその額が500兆円くらいある。結局、国債や株式を日銀が買っても、回り回って日銀当座預金の増加ということになる。

佐藤 銀行が企業に投資していない。

中谷 そうですね。資金需要がない。投資機会がないから、お金はいらないということですね。つまり、資本主義経済が成長のポテンシャルを失っているのです。さらにグローバル化によって、賃金の安いところを探してモノを作りますから、値段が上がらない。だからインフレになりません。

佐藤 では、もし日銀の当座預金が引き出されることになれば――。

中谷 インフレになります。何かの事情で大量に引き出されたら間違いなくハイパーインフレになる。だから私は「湿った床に油を撒いている状態」だと言っています。

佐藤 とりあえずいまは発火しない。

中谷 ええ。ただ台湾問題など、どこかで紛争が起きた拍子に、その油の上に火のついたマッチが落ちるかもしれない。すると一瞬のうちに燃え上がります。ただそのような事態がいつ起こるのかは誰にもわからない。

佐藤 確かに具体的に問題を示さないと、説得力がない。

中谷 だからMMTが幅を利かせ、これだけ世界中で金融緩和が行われているということで、株価はどんどん上がります。非常に危ない状況にあると思いますが、そう指摘しても賛同を得られない。

佐藤 政治家にとっても、MMTは都合のいい理論です。増税は非常に大きな政治的コストですが、それをやらなくていいとお墨付きを得たわけですから。

中谷 MMTでは、インフレになったら国家はその権力を使って大増税すればいいと考えます。でも少なくとも民主主義国家では、増税は非常に困難なプロセスを伴い、インフレを止めるスピードで増税ができるとは到底思えません。日本の消費税も、20年、30年掛かって少しずつ上げてきたわけです。「ハイパーインフレになりました。では大増税します」と言ったら、暴動が起きます。

佐藤 だから放ったらかしておこうということになる。あとは自助努力でやってくださいと。

中谷 そうなるでしょうね。

佐藤 その実例はロシアです。1990年代、ソ連が崩壊した後にインフレ率は2500%になりました。

中谷 ロシアの通貨ルーブルが暴落し、国際基準で見るとロシア人の生活水準がどんと下がったわけですね。「インフレーション・タックス」という言葉があります。インフレになると、給料はインフレと同じように上がりませんから購買力が落ちます。つまり、国民はそれまでよりも値上がりした商品を買わざるを得ないので、価格上昇分の税金を国に払うことになる。国はそこで財政収支を均衡させるわけです。歴史的に見ても、だいたい困難に陥った国はそうなります。

佐藤 当時のロシアの公務員給与はドルベースで月5ドルでした。でもモスクワで生活するには1人30ドルは必要でしたね。

中谷 ただロシアの人たちは歴史的に厳しい経験を積んできているので、郊外に農作物を作る場所を持つなど、自衛策を講じていると聞いたことがあります。

佐藤 ええ。一つは備蓄です。それから互助と贈与の習慣もあります。もともとカール・ポランニーの言う「人間の経済」があって、共産党の幹部なら、自分の持っている特権を、見返りを求めず自分の親族や友人のために使います。庶民も、外国人のところで働いている人なら、そこから物資を得て分け与える。

中谷 それは1990年代ですか?

佐藤 1991年のソ連崩壊後も、そうした伝統は残りました。政府もマーケットも信用していませんから、まずは備蓄、そして互助、贈与です。だから2500%のインフレを乗り切ってしまった。ロシアは完全には市場経済化していませんが、そこがロシアの非効率性である一方、強みでもあります。

中谷 それは、ロシアがなかなか民主化しないことと裏腹の関係にありますね。

佐藤 だからロシアは危機に強いのです。普通、2500%のインフレになったら暴動が起きますよ。

中谷 第2次世界大戦後の日本も100%くらいのハイパーインフレが起きました。その時、庶民がやったのは闇市ですよね。田舎に買い出しに行って闇市で売り、やりくりしていた。でもいまインフレになったらどうなりますかね?

佐藤 田舎自体がかなり疲弊していますから、同じようにはいかないでしょうね。

中谷 もっとも、いまでも田舎では、キャッシュはそれほど動いていないのに、食べ物は豊かですよ。

佐藤 それはそうですね。沖縄の離島などに行くと、魚と野菜は物々交換ですみます。それと、そうした場所では、のし袋がすごく売れる。

中谷 のし袋?

佐藤 誰かの誕生日とか何回忌などに、500円、千円といった細かいお金を入れて渡すのです。市場経済とは違い、対価性も合理性もないお金ですけども。

中谷 なるほどね。

佐藤 もしいまのグローバル資本主義の仕組みが崩れるとしたら、ほんとにスケールの大きな混乱が起きるでしょうね。

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