「原田泳幸」マック元社長がまさかのDV容疑で逮捕 “プロ経営者”の栄光と挫折

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“官軍”の終焉

 04年にアップル日本法人を退社し、日本マクドナルドホールディングスと日本マクドナルドの代表取締役副会長兼CEOに就任した。アメリカのマクドナルド本社が原田容疑者をヘッドハンティングしたと報じられたことも注目を集めた。

 当時のマクドナルドは低価格路線が失敗し、業績が低迷していた。原田容疑者は「100円マック」は継続しながらも、高価格化路線に舵を切る。更に店舗の24時間営業化を行うと、これがヒットした。

 07年には低価格コーヒーを発売し、これも消費者から歓迎される。だが、同年には賞味期限切れの商品の販売や使用が発覚。更に残業費カットを目的とした「名ばかり管理職」は訴訟に発展した。

 それでも10年には過去最高益を記録。“デフレ唯一の勝ち組”として、原田容疑者の評価は高まった。

 だが、“勝てば官軍”の快進撃も終わりを迎える。13年には減益減収に転じ、原田容疑者の報酬は半減してしまうのだ。

“改善”に失敗

 経済ジャーナリストの有森隆氏は30年間、全国紙で経済記者を務め、『日本企業モラルハザード史』(文春新書)、『創業者一族』(エムディエヌコーポレーション)などの著作を上梓している。

 有森氏は『プロ経営者の時代』(千倉書房)などで“原田経営”を批判してきた。19年12月には「マクドナルドとベネッセを破壊した原田泳幸氏、タピオカチェーン社長就任で汚名返上図る」(ビジネスジャーナル)の記事も執筆している。

 この記事から“原田マック”が転落していく場面をご紹介しよう。

《04年から8年連続で既存店売上高のプラスを達成し、“原田マジック”ともてはやされ、日本マクドナルドは「デフレの勝ち組」といわれた。だが、11年3月11日の東日本大震災を境に暗転する。震災後、消費者のニーズはあきらかに変わった。淹れたてコーヒーや軽食の充実で勢いをつけたコンビニエンスアに対し、日本マクドナルドは消費者のニーズを的確にとらえた戦略を描ききれなかった》

《現場の実情を勘案しない施策を、原田氏は打ち出した。待ち時間を短縮するため、12年10月からレジカウンターからメニュー表を撤去した。利用者のことは考えておらず、不便になっただけと悪評ふんぷんだった。13年1月には60秒以内に商品を提供できなければ、無料クーポンを渡すというキャンペーンを実施した。店員が制限時間に焦り、現場が混乱するだけに終わった。12年以降は完全に勢いを失った。同年12月期は営業減益に転じた》

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