仏教は「家の宗教」から「個の宗教」へ向かう――戸松義晴(全日本仏教会理事長)【佐藤優の頂上対決】

ビジネス 週刊新潮 2021年1月28日号掲載

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 仏教はいま、大きな転換点に立っている。過疎化の進んだ地方では寺院が存続できなくなり、居住地近くに墓を移すなど、「墓じまい」も広がりを見せている。一方、都市部では家族葬や直葬といった葬儀の簡素化が止まらない。これから仏教はどうなるのか。新しい時代の信仰のあり方を考える。

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佐藤 昨年11月、長らく廃寺となっていた島根県のお寺が国有化されるというニュースが報じられました。これには仏教各派の連合体である全日本仏教会が大きな役割を果たされたようですね。

戸松 浄土宗金皇寺(こんこうじ)については、全日本仏教会と浄土宗が2年前から文化庁や財務省に働きかけ、ようやく国に引き取られることになりました。人口減と過疎化、そして後継者の不在によって、地域の役割を果たせなくなった寺が数多くあります。いま寺院数は7万5千ほどですが、近く5万ほどに集約されていくとも言われています。ただ機能しなくなるといっても法人格は残ります。

佐藤 解散しない限りは、登記上、生き続けますね。

戸松 宗教法人ですから、収益事業以外の宗教活動は非課税です。さらに「善管注意義務」と言って、善良なる管理者による管理が前提になっているため、調査権など、さまざまな介入が排除されています。

佐藤 だから、そのままにしておくと悪用しようとする人が出てくる。

戸松 はい。悪用しようとすればできてしまう制度です。宗教法人を利用してラブホテルを経営するとか、葬儀社がお寺を買って売り上げをお布施として計上し脱税するなど、実際に問題になりました。そのため文化庁は予算をつけて、各地で不活動法人対策を行ってきましたが、問題となるのが残余財産なんです。

佐藤 山門や本堂だけでなく、山を持っていたりしますからね。

戸松 財産があると解散しようにも解散できない。「財産」なのに引き取ってくれるところもないのです。金皇寺の場合、浄土宗がまず大田(おおだ)市に寄付したいと相談しましたが、断られました。次に山林組合に相談しました。ここでも断られました。そして県にも相談しましたが、断られました。お堂は朽ちて壊れているし、管理しなければならない山林もありますから、もう不良債権なんですね。

佐藤 東京の真ん中ならすぐに売れるでしょうが、過疎地だと誰も手を出さない。

戸松 宗教法人法の第50条には、どこにも引き取り手がなければ「国庫に帰属する」と書かれています。ただこれまで一例も適用されていなかった。というのは、まず土地を実地測量して面積を確定してください、と求められるからです。それにはすごくお金がかかる。

佐藤 法律には書いてあるけれども、運用時に高いハードルが課せられるわけですね。

戸松 ですから今回、浄土宗と全日本仏教会で協力し合って、具体的な地名、残余財産の詳細なども公開し、ようやく財産の国有化まで漕ぎ着けました。

佐藤 国有化第1号になります。

戸松 現地は水源地に近く、外国人が購入することもできてしまいます。実際に外国から、産業廃棄物を処理したいという名目での引き合いもありましたから、ほっとしています。

檀家制度はもうもたない

佐藤 寺院を巡っては、こうした過疎地の問題だけではなく、葬儀の簡略化やお布施の明示問題、そして墓じまいなど、いま、さまざまな問題に直面しています。

戸松 最大の要因は人口減ですが、もう一つ、価値観の多様化という要素も大きい。IT(情報技術)が行き渡ったことで、個々人が簡単につながれるようになりました。これまでは社会の至る所にピラミッドのようなヒエラルキーがあり、上意下達で物事が進んでいた。それが崩れ、何もかも個々のネットワークで間に合うようになりました。

佐藤 それに伴い、組織のあり方も変わってきた。

戸松 集団で共有してきた原理原則に従って生きるより、自分で情報を得て、自分にとって意味のあるものを選択して暮らすようになった。そうした個々人の意識の変化は、例えば政治なら「アラブの春」を生み出しました。政治や経済、社会に大きな影響を与えていることが、宗教に現れないわけがありません。

佐藤 そうですね。これは仏教に限らない。伝統宗教すべての問題で、その儀式などが問い直されることになります。

戸松 そもそも仏教が葬儀を行うことは、本来の教義からは説明をつけづらいと思うのですよ。お釈迦様がそれを説いているわけではありませんから。

佐藤 檀家制度もそうですね。

戸松 これは江戸時代にできたものです。寺請(てらうけ)制度で地域ごとに檀那寺の割り振りがあり、そこの住民は強制的に檀家として組み込まれることになりました。前提となっているのは、そこに住み続けることですから、流動性が激しい社会になったら、制度として成り立ちません。

佐藤 地方から東京に出てきた人たちには、面倒なものになっていますね。

戸松 そうでしょう。多くの人は檀家制度にネガティブな感情をお持ちだと思います。檀家としての義務がありますし、寺が困ったときには寄付をするのが当然と考えられています。もともと日本では寺と檀家がきちんとした信仰共同体になっていませんから、疎遠になれば煩雑だという思いだけが残る。

佐藤 墓じまいではトラブルも起きています。

戸松 檀家制度のベースにあるのは、先祖代々の墓です。信仰という部分でのつながりが薄い分、お墓を守り、先祖を供養することで、人々は菩提寺とつながってきたわけです。寺の立場に立てば、その墓を移すことは、檀家でなくなることですから、何とかやめさせたい。檀家が少なくなれば、寺の維持管理ができなくなります。

佐藤 寺にとっては金銭面でも切実な問題になる。

戸松 だから墓じまいの際、離檀料として高額なお金を請求するということが起きてくる。ですが、はっきり申し上げて、それはやってはいけない。法律的にも私たちが請求する権利はありません。

佐藤 かといって、離れるに任せるわけにもいかない。

戸松 地域によっては、檀家制度が確固たるものとして残っているところもあります。でも多くの寺は、もう檀家制度は成り立たなくなると感じているはずです。

佐藤 そうなると、寺のあり方が大きく変わってきます。また葬式でも、家族葬や友人葬だったり、通夜、告別式を行わない直葬(ちょくそう)だったり、簡便な形へと変化し始めました。

戸松 そこには高齢化という問題もあります。亡くなった方が高齢だと、もうその関係者がいないわけですね。喪主の方も高齢で、社会的な地位を離れている。そうなると当然、参加者が少なくなり、葬儀は小さくなる。つまり家族だけの葬儀、個々人の葬儀になっていきます。

佐藤 今回のコロナも、葬式の簡素化に拍車をかけていますね。

戸松 まさに「3密」ですから。コロナを口実に、お通夜の会食はやらないし、葬儀にも親戚を呼ばず、近い家族だけで進めている。また法要も不要不急と言えばそう言えるので、1年延ばすということにもなっています。

佐藤 オンラインで葬式をするところも出ています。

戸松 私もリモートで法事をしていますよ。仏教は常に世の中の変化、人々のニーズに合わせて、変わってきた面がありますから、それ自体は悪いことではない。

佐藤 キリスト教なら日曜礼拝をリモートでやるのか、という問題になります。またカトリック教会や正教会の教義だと、聖餐式はパンと葡萄酒をいただいて、それが血となり肉となるわけですから、リモートではできません。プロテスタントの場合は、教会によって可とするところもあります。

戸松 世の中に合わせていくといっても、私はオンラインでやる法要も法話も、必要に応じて対応するのがいいと思っています。葬儀と同じく法要も仏教の教義の中で位置づけのないものですが、教義との整合性や合理性を超えて「やってよかったね」「これでおじいちゃんは成仏できるよね」と感じてもらうこと、その体感性がとても大切だと思うのです。

佐藤 そこが抜け落ちてしまうと、宗教が形骸化します。私は月に2回、京都の教会に行くようにしています。そこは同志社大学神学部時代の指導教授が牧師を務める教会で、私が逮捕された時も支えてくれたところでした。ただ時間もお金もすごくかかる。しかしその無駄こそが信仰です。

戸松 合理性を超えるということですよね。今回のコロナで、合理性を超えて伝統としてやってきた儀式が途切れてしまいかねない状況にあります。ほとんどの寺は、葬儀と供養する行為に対するお布施によって成り立っています。ですから私たちが積極的に働きかけて守っていく必要がある。ただそれと同時に、これから寺がどういう社会的役割を担っていくか、そこを考えていかねばならないと思っています。

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