毎年大勢が死ぬのになぜ「餅恐怖症」の人はいないのか 事実よりも感情を優先してしまう人間(古市憲寿)

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「Frighten-titillate(恐怖と刺激)」。映画「スキャンダル」でアメリカのFOXテレビの流儀として説明される言葉だ。視聴者を釘付けにするには、絶えず恐怖と刺激を与えろというのだ。

 FOXに限らず、世界中のマスコミは「恐怖と刺激」戦略と無縁ではいられない。新しい感染症が流行すれば、まるで世界が終わるかのような緊張感で恐怖を煽り、たった一件の猟奇殺人に対して、日本が無法者だらけの修羅の国になってしまったかのように騒ぎ立てる。

 だけどこれはマスコミが悪い、という単純な話ではない。強いて言えば、悪いのは人間の感情そのものだ。

 文明が発達したこともあり、人間は正しく世界を恐れることができない。

 たとえば蜘蛛や蛇が怖いという人は多いだろう。「蜘蛛恐怖症」という言葉もあり、「アラクノフォビア」という映画まで製作されている。確かに太古の昔、蜘蛛や蛇を恐れることが合理的だった時代があるのかもしれない。しかし2018年の「人口動態統計」によれば、日本において蜘蛛毒で死んだ人はただの一人もいない。蛇の毒で命を落としたのも2人だけだ。

 一方で「気道閉塞を生じた食物の誤えん」は4606人もいる。その多くが正月に餅を喉に詰まらせた高齢者だと考えられる。それなのに餅好きばかりで、「餅恐怖症」という人には、めったにお目にかからない。

 もしも人間の恐怖が合理的ならば、砂糖を舐めただけで気絶するべきだし、自動車を見ただけで発狂すべきである。数字を見る限り、蜘蛛や蛇よりも、砂糖や自動車の方が間違いなく多数の死者を生んでいる。

 他人を説得する時は、いくら事実(ファクト)を提示しても無意味に終わることが多い。

 新しいデータを提供したところで、相手は自分の先入観を裏付ける情報なら即座に受け入れるが、反対の証拠には冷ややかな目しか向けないからだ(『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』白揚社)。「確証バイアス」といって、人間は自分に都合のいいデータばかりを集めてしまうのだ。

 もしもそうなら、世の中の論争はほとんどが無意味ということになる。ツイッターなどでは、いつも誰かが口汚く激論を交わしている。しかし誰かが意見を変えるのを目撃することは、ほとんどない。

 たとえば小泉進次郎環境大臣が国連の気候行動サミットに参加した際の「気候変動のような大きな問題は楽しく、クールで、セクシーに取り組むべきだ」という発言が話題になった。

 この「セクシー」に噛みついた識者も多い。しかし「セクシー」は同席していたクリスティアナ・フィゲレス国連気候変動枠組み条約前事務局長のかねてからの持論で、環境問題の議論で「Soft and Sexy」という言葉が登場することもある。

 まあ古くは、太平洋戦争に敗北したことを信じない「勝ち組」なる人々もいた。人間の感情の前に、事実はあまりにも無力なのである。それに気付かないこともまた愚かなのだろう。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2021年1月21日号掲載

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