新たな「恥辱の日」となった「2021.1.6」 【特別連載】米大統領選「突撃潜入」現地レポート(21)

国際

  • ブックマーク

Advertisement

 私がワシントンDCにある米連邦議事堂の裏玄関に到着したのは、1月6日の午後3時半過ぎのこと。

 ジョー・バイデンが1月20日の新大統領就任式の時、演説をするために作られた議事堂の左右に急ごしらえされた座席は、トランプ信者で埋まっていた。裏門の周りには、ざっと1000人近い信者が詰めかけて身動きも取れないほどだった。

 10分ほどかけて少しずつ歩を進め、裏門から5メートルのあたりまで何とかたどり着けた。

 人々は、2、3人が通れるほどの狭い裏門の周りに集まり、国会議事堂へ突入しようと試みるが、そこでは警官隊が押し返しており、一進一退が続く。

 それより簡単に侵入する方法は、裏玄関の左手にある窓だった。私が到着した時にはすでに2枚の窓のうち1枚が壊されていたが、やがて2枚とも壊され、暴徒と化したトランプ信者が次々に突入していった。

 トランプ信者たちは、警官に向けてペットボトルや飲料水の缶、木切れなどを投げ込む。激しく揉み合っていた。

 スコットランド衣装に身を包み、パイプを吹いていたのはテキサス州デントンから車でやってきたというスコット・マクドナルド(60)。不動産会社で働くこの男性は、私が日本から来たジャーナリストであることを告げると、「はじめまして」と日本語で答えた。

 普段なら、「日本語がしゃべれるんですね」と切り返すところだが、騒然とした雰囲気にのまれて、普段通りに会話ができない。

 どうして国会議事堂に来たのかと尋ねると、

「トランプが大統領に選ばれるのを応援するためさ。この選挙は盗まれたんだから、今日の両院会議では、ペンスがトランプを大統領に承認するべきなんだ(注:上院ではマイク・ペンス副大統領が議長を務めている)」

 ここでも通常なら、不正選挙があったとするのは間違った情報であるという点を指摘すべきだが、その余裕がない。相手の言い分を書き留めて、写真を撮る。

 コネチカット州で弁護士として働いているエリン・チャン(45)は、

「大統領はたった1人でアメリカの政治から腐敗を一掃しようとしているのよ。ペンスも(ミッチ)マコネル(共和党上院院内総務)も、トランプを裏切った。私たちが助けなくて誰が大統領を助けることができるの?」

 私は前日、飛行機でワシントンDCに到着していた。

 すべての始まりは2週間前、2020年12月19日のトランプのツイッターだった。

〈2020年の大統領選における敗北は、統計的にあり得ない〉

〈1月6日はワシントンDCで大規模デモだ。来てくれ。ワイルドなものになるぞ!〉

 トランプ信者は、この言葉をどう読むのか。

 教祖さまが、ワイルドになる、と言っているからには、集会をワイルドにするのは信者の役割だ――と読むのである。

 全米の各州が12月14日に選挙人による投票結果を確定し、バイデンが306票を取り、トランプは232票を取った。大統領になるには選挙人の270人以上が必要なので、この時点で、バイデンが2021年1月20日の正午に第46代の大統領として就任することが事実上確定した。

 残るプロセスは、1月6日に、副大統領のペンスが議長を務める両院合同会議で各州の投票を承認するだけだった。議会承認は儀式的なものにすぎず、アメリカ史上、この日が、これほど注目を集めたことはなかった。

ウイルスのように広まった「狂気と殺気」

 原因は、トランプのウソにある。

 大統領選挙で大規模な不正が行われ、本当ならトランプが大統領に再選されるはずが、バイデンがその結果を盗み取り、大統領に就任する――という陰謀説。

 この陰謀説にはいくつものバージョンがある。

■バイデンがオバマ以上の投票を得ることがあるはずがない。

■ドミニオン社製の集票機がトランプ票をバイデン票に書き換えた。

■何千人もの「死者」が、郵便投票を使ってバイデンに投票した。

■ペンシルベニア州やジョージア州の一部の郡では、投票者の数が有権者の数を上回った。

 ――などなど、全部挙げればきりがない。

 しかし、『ワシントン・ポスト』や『ニューヨーク・タイムズ』、『CNN』やそのほかのニュースメディアによって、そのすべてが事実とは異なるとファクトチェックされている。

 さらには、アメリカの法の番人であり、12月に辞任した前司法長官であるビル・バーが、辞任前に、大統領選挙に不正があったという証拠はなく、調査を始めることはない、という声明を発表している。

 加えて、トランプ陣営によって起こされた60件近くの裁判のほとんどが、不正があったという証拠を提出できずに却下されている。連邦最高裁判所も、その訴えを棄却している。

 要するに、今回の大統領選挙で、大規模な不正があったという証拠はどこにもない。

 しかし、トランプ信者はそうしたファクトチェックを信じない。印象操作に過ぎないとして、トランプが繰り返し語るウソを信じ込む。私は3日かけて、全米からワシントンDCに集まったトランプ信者に話を聞いたが、決定的な証拠がなくても、彼ら全員、選挙で不正があり、トランプが大統領に再選されるべきだと心から信じているのである。

 ウソも100回言えば真実になる、ということが実際に起こり得るのだと知り驚いた。トランプが就任以来ついたウソをすべて足し合わせると、その数は2万回 を超えるが、不正選挙に関するウソに限っても、その数が1000回、2000回を超えていてもまったく不思議はない。

 国会議事堂に集まった信者の怒りの根っこには、自分たちが信じているトランプ再選が起こりそうもないことへの絶望がある。

 6日の集まりは当初、トランプ信者の私的な集会であるはずだった。しかし、前日の5日に、トランプがホワイトハウスのローズガーデンから6日午前11時に演説をする、という情報が流れた。それを受け、ホワイトハウスのローズガーデン側に信者が集まり始めた。『CNN』によると、6日の午前3時頃からトランプを見るために信者が集まり始めた、という。

 私も9時からトランプ信者に交じって、トランプの演説が始まるのを待った。

 トランプを支持する下院議員や、私的弁護士であるルドルフ・ジュリアーニ、トランプの息子のエリック・トランプなどの演説があり、11時からはトランプ待ち。

 トランプが演説を始めたのは11時50分。

 しかし、すべてが急ごしらえであり、2、3万人を超す人がひしめき合っているので、トランプの生の姿はもちろん、トランプを映すスクリーンも1カ所だけ。音響設備も十分ではなく、トランプが何をしゃべっているのかも聞き取りにくい。

 トランプはいつものように、ここでも選挙で大規模な不正が行われというウソにつぐウソを積み重ねる。1時間以上にわたり心いくまでウソをまき散らす間に、こう言った。

「今は 、国会が民主主義に対するこの破廉恥な攻撃に立ち向かう時だ。この演説が終わったら、ペンシルベニア通りを歩いて国会に行進していこう。オレもその行進に加わろう。勇敢な国会議員たちを応援するためにね。皆は力強さを見せなければならない。強くないといけないんだ」

 このトランプの言葉にそそのかされて、国会への大行進が始まった。その距離、約2マイル。徒歩で30分の距離だった。

 私はいったん行進から離れた。長丁場になるのに備え、昼食を食べ、防弾チョッキを着こみ、30分ほどニュースを見ていた。

 すると、国会議事堂が大荒れ模様になっていると知って、急いで議事堂に向かった。

 周辺の道が、警戒のためすべて閉鎖されていたのでタクシーを捕まえることができず、歩いて行くしかなかった。

 ホワイトハウスから歩いていくと、国会議事堂の裏側に到着するのだが、初めて議事堂を訪れたため、私のいる場所が議事堂の裏側にあたることや、多くの暴徒はすでに午後1時過ぎに表玄関から突入していたことを、後になって知った。

 現場の雰囲気を表すとしたら、パニック状態という言葉では不十分だ。狂気と殺気をはらんだ狂乱状態といったところか。

 そして、その狂気と殺気は、ウイルスのように空気感染で広まっていった。

「今日、アメリカの民主主義が死んだ」

 3時58分。群衆がアメリカ国家を歌い始める。続いて、『God Bless America』。

 4時過ぎると、警察の押し返しが強くなる。3人の白人男性が、ペッパースプレー(催涙スプレー)を大量に浴びて、裏玄関から運び出される。

 周囲の人々が、ペットボトルの水で目に入ったペッパースプレーを洗い流そうとするが、簡単には洗い流すことができず、大量の水を使ったために男たちは全身びしょぬれになっていた。

 4時23分。群衆を排除するため、警察が大量のペッパースプレーを撒いた。周りの多くの人々がそれを浴びる。私も目が開けていられないぐらい痛み、涙がながれ、咳が何度も出た。

「I can’t breath!」

 と皆が声を合わせて叫ぶ。

 この“I can’t breath!”は、ミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性のジョージ・フロイドが白人警官に殺された時に繰り返し口にした言葉。それを、トランプ信者が真似するように唱和するのだ。なんと皮肉なことだろう。

 4時27分。破れた窓から転げ落ちるように逃げてきた30代の白人女性が、

「建物の中で女性が撃たれて亡くなったわ。ここにいたら危ないから、みんな逃げるのよ」

 と言いおいて、走り去った。

 演説を終えたトランプは、自ら国会議事堂に足を運ぶことはなく、ホワイトハウスに戻り、2時から4時にかけ、合計4件のツイートやビデオメッセージを投稿している。国会議事堂乱入という暴挙を報じるメディア、そして相次ぎ出される批判の声に慌てて支持者らに「平和的に」と呼びかけたものだが、しかし、そうしたトランプからのメッセージが議事堂に集まった人々に届くことはなかった。

 トランプの支援者集会などで1万人前後が1カ所に集まると、携帯電話のネット回線は簡単にパンクするからだ。この日も、すでに午前中からネットがつながらない状態が続いていた。

 4時30分。男性が、

「これは内戦(Civil War)だ!」

 と怒鳴る。

 群衆は警官に向け、「この裏切り者!」と何度も罵る。噴射されるペッパースプレーの量が多くなるにつれ、「このくそったれの裏切り者!(You are fucking traitors!)」と言葉が汚くなる。

 この騒乱の中に身を置きながら、私はノートにこう走り書きした。

「今日、アメリカの民主主義が死んだ」

 4時49分だった。

とめどなくあふれた涙

 デマゴーグであるトランプのウソがアメリカの隅々まで行き渡った結果、アメリカの民主主義が窒息死しそうになるようすを目の当たりにすると、不覚にも悔し涙があふれそうになる。

 しかし、後世まで語り継がれるだろうこの日の様子をできるだけ目に焼き付けようと、写真を撮り、話を聞き、メモを取る。

 この前後から、警察が閃光弾を使って、群衆を追い払おうとする。爆弾が爆発するような轟音とともに大量の白煙が上がる。

 それに負けじと、群衆が「U.S.A! U.S.A!」と声を合わせる。

 5時02分。裏玄関で閃光弾が破裂する。

 その直後に、大量のペッパースプレーが散布された。その場に居合わせた何十人もの人が一斉に呼吸もできず、視界が奪われるほどの量のペッパースプレーが使用された。

 裏玄関を取り囲んでいた100人ほどの群衆が、降りる階段に殺到する。2人がすれ違うのも難しいほどの階段を、人々が押し合いへし合いして降りていく。階段の上から、飛び降りてくる人も3人見た。

 階段を下まで降りた私は、吐き気がしそうなほど、ひどくせき込み、視界は極端に狭まり、涙が止まらなくなった。

 地面にへたり込んでせき込んでいると、数人からの「大丈夫か」、「パニックになるなよ」、「呼吸を続けるんだ」という声とともに、背中をさすってくれる手があった。

 私が右手の指で「OK」のサインを掲げると、周りの人々が徐々に去って行った。

 次にノートに字を書いたのは、5時15分。「警察が制圧か」

の文字がある。

 私は大統領選挙前日の11月2日、こうした暴動が起こることもあるのかもと思い、事前にガスマスクとヘルメット、それに防弾チョッキを買い込んでいた。

 この日、防弾チョッキは着ていたが、必要だったのはガスマスクだった。

 しかし、空港のセキュリティーチェックで揉めると面倒だ、と思って持ってこなかったことを心底後悔した。

 私は、国会議事堂の裏玄関から20メートルほど離れ、成り行きを見守った。

 5時半を過ぎたあたりから、警察が10人、20人とグループになって、警棒を前面に押し出しながら、群衆を議事堂から遠ざけていく。

「ここは天安門じゃないんだぞ!」

 と男が叫んだ。

 フロリダから来たというマイケル・エバンス(55)は、こう言った。

「警察はいつも“Black Lives Matter”(黒人の命も大事)の味方なんだ。BLMのメンバーなら警官の顔に唾を吐きかけても、おとがめなしさ。警官は白人を敵視しているんだ」

 それは事実と異なる、と即席のファクトチェックをしたかったが、私にはもうその気力が残っていなかった。

 ワシントンDCの市長が発令した外出禁止命令の時間午後6時が過ぎるまで見守ったが、国会議事堂ではこれ以上何も起こりそうになかった。

 警官の人数がそろって、本気で暴徒を追い払おうとすれば、民間人が抵抗する術はないのだ。

 私は歩いてホテルに帰り、いくつかの用事を済ませ、部屋にあった白ワインを飲みながら『CNN』をつけた。

 キャスターのダン・レモンの番組で、その日の一部始終をレポートしていた。その日、4人が亡くなった、と伝えていた(翌日、その数は5人となる)。午後10時すぎになっていた。

 アメリカで「恥辱の日(The day of Infamy)」と言えば、日本が真珠湾を奇襲攻撃した1941年12月8日を指す。しかし今後は、2021年1月6日のことを指すことになるのではないか、などと考えていた。

 すると、取材時に感じた口惜しさがよみがえり、涙がとめどなくあふれた。トランプのウソに深く毒されたアメリカが立ち直れる日は来るのだろうか、と思いながら。

【support by SlowNews】

【連載一覧はこちらからご覧ください】

横田増生
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。関西学院大学を卒業後、予備校講師を経て米アイオワ大学ジャーナリズムスクールで修士号を取得。1993年に帰国後、物流業界紙『輸送経済』の記者、編集長を務め、1999年よりフリーランスに。2017年、『週刊文春』に連載された「ユニクロ潜入一年」で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞(後に単行本化)。著書に『アメリカ「対日感情」紀行』(情報センター出版局)、『ユニクロ帝国の光と影』(文藝春秋)、『仁義なき宅配: ヤマトVS佐川VS日本郵便VSアマゾン』(小学館)、『ユニクロ潜入一年』(文藝春秋)、『潜入ルポ amazon帝国』(小学館)など多数。

Foresight 2021年1月12日掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。