巨人“エースのジョー”は24勝で新人王…昔の選手のニックネームには「ドラマ」あり!

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 プロ野球選手はファンに愛されてこその人気商売。ファンからニックネームで呼ばれて、初めて一流選手といえるだろう。長いプロ野球の歴史を紐解くと多くのニックネームが存在、そこには時代の匂いが色濃く反映している。

 例えば、1938年秋に.361、10本塁打、38打点で史上初の三冠王に輝いた中島治康(巨人~大洋)は戦時中、兵役に行った際の階級が班長だったことから、そのものずばり「班長」と呼ばれていた。中島自身どっしりした貫録十分な体格に加えて豪放磊落な性格だったこともあり、まさにうってつけのニックネームだったといえよう。

 また、37年、関大から大阪タイガース(現阪神)に入団した西村幸生はすぐに頭角を現し、同年秋には15勝3敗で最多勝のタイトルを獲得するとともに、巨人との年度優勝決定戦ではタイガースが挙げた4勝のうち1人で3勝をマークしてチームの優勝に貢献。以後、タイガースのエースとして活躍したが、この西村、無類の酒好き。もらった給料は全て酒代に使ってしまい、酒臭い息を吐きながら登板することもしばしばだったという。そのため、彼についたニックネームは主戦投手ならぬ「酒仙投手」。こんなニックネームをつけられるような豪傑は今の時代ではまず考えられない。

 ちなみに、西村は45年フィリピンで戦死。早世が惜しまれる選手の1人だ。このほか、ファンの記憶に残るニックネームを挙げてみよう。

【打撃の神様】
 獅子奮迅の活躍から「神様、仏様、稲尾様」といわれた稲尾和久(西鉄=現西武)の例はあるが、ニックネームで「神様」と呼ばれたのは後にも先にも川上哲治しかいない。

 38年、熊本工から巨人に入団した川上は、粗悪な飛ばないボールを使い、試合数も少なった戦前からヒットを量産。56年5月31日の中日戦で、前人未到の通算2000本安打を達成した。この間、41年には.310で2度目の首位打者に輝いた。さらに、51年には自己最高の.377で3度目の首位打者を獲得。その高打率もさることながら、驚かされるのは424打席で三振がわずか6個しかなかったこと。これらの数字を見ても、川上のバッティングがいかに卓越していたかが分かるだろう。「神様」と呼ばれたのも当然だ。

【塀際の魔術師】
 外野フェンスが高くなった現代の球場ではなかなかお目にかかれないのが、ホームラン性の打球をフェンス越しにキャッチするプレーだ。これまでそんなプレーを得意にする選手が何人かいたが、元祖「塀際の魔術師」と呼ばれたのが平山菊二(巨人~大洋ほか)である。

 48年11月26日、後楽園球場で行われた東西対抗戦でレフトを守っていた平山は、飯田徳治(南海~国鉄)のホームラン性の打球をジャンプしながら、塀の上に右手を置きグラブを差し出して好捕した。このビッグプレーを野球評論家の大和球士が「塀際の魔術師」と命名、一躍全国に広まった。

 後年、平山は「バットでは首位打者も本塁打王も獲れない。だったら守備で勝負をしようと何度も練習した」と語ったが、さしたる記録を残していない平山が今もなおファンの記憶に残っているのは「塀際の魔術師」という、いかにもインパクトの強いニックネームのおかげだろう。事実、平山も「大和さんには生涯、足を向けて寝られない」と感謝していたそうだ。

【エースのジョー】
 65年から始まった巨人のV9、その礎を築いた投手は間違いなく城之内邦雄だ。62年に社会人の日本麦酒(現サッポロビール)から入団、重くて力強い速球と切れ味鋭いシュートを武器にいきなり24勝を挙げて新人王となると、翌年から17勝、18勝、V9のスタートとなる65年からは21勝、21勝と勝ち星を積み重ねた。入団5年で100勝を達成した投手は城之内が最後。それ以後現在まで誰1人としてこの数字に届いた者はいない。

 こんな城之内を人は「エースのジョー」と呼んだ。当時は日活映画の全盛期で俳優・宍戸錠が「エースのジョー」の異名で人気を集めていた。巨人のエースと城之内のジョー、紛れもなく「エースのジョー」である。
 
 入団以来毎年酷使され、つねに全力投球だったために腰を痛めて71年に引退するが、74年にロッテで現役に復帰し、同年限りで二度目の引退となった。実働は11年間だったとはいえ、巨人時代の活躍は素晴らしく、もっと評価されていいピッチャーだろう。

【8時半の男】
 現在のように先発・中継ぎ・抑えの分業システムが確立していなかった65年、ほぼリリーフだけで20勝を挙げたのが宮田征典(巨人)だ。まだ当時は、セーブの制度はなかったが、現在の規定に照らし合わせると22セーブとなり、この年の宮田の活躍が尋常ではなかったことがよく分かる。

 宮田に「8時半の男」というニックネームがつくのはあるテレビ番組が関わっている。その頃、TBSで月曜日の夜に放送されていたドラマ「月曜日の男」が人気になっていた。ある時、宮田と談笑していた後楽園球場のウグイス嬢が、宮田がいつも8時半前後に登板することから「『月曜日の男』が人気になっているけど、宮田さんはさしずめ『8時半の男』ね」といったのを聞いていたスポーツ紙の記者が記事の見出しに使ったことで、宮田の代名詞となった。

 現役の選手でも「おかわり君」(中村剛也)「熱男」(松田宣浩)「ハンカチ王子」(斎藤佑樹)「ライアン」(小川泰弘)「アジャ」(井上晴哉)などファンに親しまれているニックネームを持つ選手も多い。しかしながら、以前に比べるといささかドラマ性に乏しいと思うのは筆者だけだろうか。

清水一利(しみず・かずとし)
1955年生まれ。フリーライター。PR会社勤務を経て、編集プロダクションを主宰。著書に「『東北のハワイ』は、なぜV字回復したのか スパリゾートハワイアンズの奇跡」(集英社新書)「SOS!500人を救え!~3.11石巻市立病院の5日間」(三一書房)など。

週刊新潮WEB取材班編集

2021年1月2日掲載

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