不自然な“サングラス着用”写真も…池田大作氏の“長きにわたる不在”を「聖教新聞」はどう報じたか

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東日本大震災でも姿を現さず

 「池田先生」が姿を消した理由は「弟子に創価学会を託すため」だけなのか――信者たちのこの疑問は、翌年の2011年、さらに深まることになる。

 この年の3月11日に発生した東日本大震災では、多くの創価学会員も被害を受けた。教団は被災地にある創価文化会館を開放し、一般の人も含め、被災者を受け入れていたという。そのような状況で、多くの信者は「池田先生」からの言葉を待っていたわけである。

 95年1月に起きた阪神淡路大震災では、その10月に池田は兵庫県におもむき「21世紀兵庫希望総会・SGI総会」という会合を開催し、信者を激励した。だが東日本大震災では、11年3月16日付の聖教新聞に池田の「お見舞いメッセージ」が掲載され、過去のスピーチが収録されたDVDが被災地に配布されただけだった。

 未曽有の大災害において苦しみ悩んでいる信者たちに対して、「弟子に創価学会を託すため」姿を現さないというのであれば、率直に言って信者は納得しないだろう。そう考えると、池田が姿を現さない理由は「弟子に創価学会を託す」以外にあると考えるのが普通ではないだろうか。

 もっとも池田は“完全に”姿を消したわけではなかった。2010年の総会欠席以降、初となる池田の写真が、突如として2012年8月21日付の聖教新聞に掲載されたのだ。それも第3面に、ひっそりと……。

 約2年ぶりに公開された池田の写真は、池田のペンネームである山本伸一名義で連載されている随筆「われらの勝利の大道」に添えられたものだった。小型のカートに乗り帽子をかぶってサングラスをかけた池田と、その横に座る香峯子夫人、そしてカートを運転する長男・博正氏を中心とした構図だ。それらを数名の人々が迎えている様子が〈夏の光が注ぐ緑の中、池田名誉会長夫妻が信越の同志と共に(今月、長野研修道場で)〉のキャプションと共に掲載された。

 「研修道場」とは、教団が主にリゾート地に建てている施設で、教団にまつわる資料の閲覧や、宿泊することもできるという。サングラスをかけているため池田の表情は読み取れないが、2年前と比べて体型に大きな変化はない。左手をあごのあたりまで上げ、出迎えに応じている仕草も見て取れる。随筆には〈この夏、私も、長野研修道場での伝統光る三十回目の研修に出席した〉とあった。

 先ほども触れたとおり、久しぶりの登場であるにも関わらず、写真は1面ではなく3面に掲載された。それでも、信者たちに衝撃を与え、「やはり池田先生はお元気だった」といった反応があったという。さらにはこの3日後の8月24日に、聖教新聞の1面に、今度はカラーで池田の写真が掲載されたのだ。

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